【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。

我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に寓せしに、中間に正師にあわず、善友なきによりて、迷って邪念をおこしき。

教道の師も先ず、学問先達に等しくよき人となり、国家に知られ、天下に名誉せん事を教訓す。よって教法等を学するにも、先ずこの国の上古の賢者にひとしからん事を思い、大師等にも同じからんと思うて、因みに高僧伝、続高僧伝等を披見せしに、大国の高僧、仏法者のようを見しに、今の師の教えの如くにはあらず。また我がおこせる心は、皆経論伝記等にはいとい悪みきらえる心にてありけりと思うより、やうやく心つきて思うに、道理をかんがうれば、名聞を思うとも当代下劣の人によしと思われんよりも、上古の賢者、向後の善人を恥ずべし。ひとしからん事を思うとも、この国の人よりも唐土天竺の先達高僧を恥ずべし。彼にひとしからんと思うべし。乃至諸天冥衆、諸仏菩薩等を恥じ、彼にひとしからんとこそ思うべきに、道理を得て後には、この国の大師等は、土瓦の如く覚えて、従来の身心皆改めるぬ。

仏の一期の行儀を見れば、王位を捨てて山林に入り、学道を成じて後も一期乞食すと見えたり。
律に云く、「家、家にあらずと知りて捨家出家す。」と。
ふるく云く、「誇りて上賢にひとしからんと思う事なかれ。いやしうして下賤にひとしからんと思う事なかれ。」と。云うは、倶に慢心なり。高うしても下らん事をわするる事なかれ。安んじてもあやうからん事を忘るる事なかれ。今日存ずれども明日もと思う事なかれ。死に至りあやうき事、脚下にあり。

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『正法眼蔵随聞記』

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