【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』76、愚癡なる人は

投稿日:1235年6月11日 更新日:

また云く、愚癡なる人はその詮なき事を思い云うなり。此につかわるる老尼公、当時いやしげにして有るを恥ずるかにて、ともすれば人に向っては昔上郎にて有りし由を語る。喩えば今の人にさありけりと思われたりとも、何の用とも覚えず。甚だ無用なりと覚ゆるなり。

皆人のおもわくは、この心あるかと覚ゆるなり。道心無きほども知らる。此らの心を改めて、少し人には似べきなり。

またあるいは入道の極めて無道心なる。去り難き知音にてあるに、道心おこらんと仏神に祈誓せよと云わんと思う。定めて彼腹立して中たがう事あらん。然れども道心をおこさざらんには、得意にてもたがいに詮なかるべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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