【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」安居(あんご)

投稿日:1245年6月13日 更新日:

先師天童古仏、結夏小参云、平地起骨堆、虚空剜窟籠。驀透両重関、拈却黒漆桶(先師天童古仏、結夏の小参に云く、平地に骨堆を起し、虚空に窟籠を剜る。驀に両重の関を透すれば、黒漆桶を拈却せり)。

しかあれば、得遮巴鼻子了、未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年(遮の巴鼻子を得ぬれば、未だ免れず飯を喫しては脚を伸べて睡り、這裏に在つて三十年することを)なり。すでにかくのごとくなるゆゑに、打併調度、いとまゆるくせず。その調度に九夏安居あり。これ仏々祖々の頂面目なり。皮肉骨髓に親曽しきたれり。仏祖の眼睛頂を拈来して、九夏の日月とせり。安居一枚、すなはち仏々祖々と喚作せるものなり。

安居の頭尾、これ仏祖なり。このほかさらに寸土なし、大地なし。夏安居の一橛、これ新にあらず旧にあらず、来にあらず去にあらず。その量は拳頭量なり、その様は巴鼻様なり。

しかあれども、結夏のゆゑにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆゑにさる、迊地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆゑに結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、親曽の面々ともに結解を罜礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来(吾れに九十日の飯銭を還し来れ)なり。

黄檗死心和尚云、山僧行脚三十余年、以九十日為一夏。増一日也不得、減一日也不得(黄檗死心和尚云く、山僧行脚すること三十余年、九十日を以て一夏と為す。一日を増すこと也た不得なり、一日を減ずること也た不得なり)。

しかあれば、三十余年の行脚眼、わづかに見徹するところ、九十日為一夏安居のみなり。たとひ増一日せんとすとも、九十日かへりきたりて競頭参すべし。たとひ減一日せんとすといふとも、九十日かへりきたりて競頭参するものなり。さらに九十日の窟籠を跳脱すべからず。この跳脱は、九十日の窟籠を手脚として跳するのみなり。九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆゑに、仏々祖々、嫡々正稟して今日にいたれり。

しかあれば、夏安居にあふは諸仏諸祖にあふなり。夏安居にあふは見仏見祖なり。夏安居ひさしく作仏祖せるなり。この九十日為一夏、その時量たとひ頂量なりといへども、一のみにあらず、百千無量のみにあらざるなり。余時は百千無量等の劫波に使得せらる、九十日は百千無量等の劫波を使得するゆゑに、無量劫波たとひ九十日にあふて見仏すとも、九十日かならずしも劫波にかかはれず。

しかあれば参学すべし、九十日為一夏は眼睛量なるのみなり。身心安居者それまたかくのごとし。夏安居の活驋々地を使得し、夏安居の活驋々地を跳脱せる、来処あり、職由ありといへども、他方他時よりきたりうつれるにあらず、当処当時より起興するにあらず。来処を把定すれば九十日たちまちにきたる、職由を摸索すれば九十日たちまちにきたる。凡聖これを窟宅とせり、命根とせりといへども、はるかに凡聖の境界を超越せり。思量分別のおよぶところにあらず、不思量分別のおよぶところにあらず、思量不思量の不及のみにあらず。

世尊在摩竭陀国、為衆説法。是時将欲白夏、乃謂阿難曰、諸大弟子、人天四衆、我常説法、不生敬仰。我今入因沙臼室中、坐夏九旬。忽有人、来問法之時、汝代為我説、一切法不生、一切法不滅

(世尊、摩竭陀国に在して衆の為に説法したまふ。是の時まさに白夏せんとしたまひて、乃ち阿難に謂つて曰はく、諸大弟子、人天四衆、我れ常に説法すれども敬仰を生ぜず。我れ今因沙臼室中に入つて坐夏九旬すべし。忽ちに人有り、来つて法を問はん時、汝代つて我が為に説くべし、一切法不生、一切法不滅と)。

言訖掩室而坐(言ひ訖つて掩室して坐したまふ)。

しかありしよりこのかた、すでに二千一百九十四年[当日本寛元三年乙巳歳]なり。堂奥にいらざる児孫、おほく摩竭掩室を無言説の証據とせり。いま邪党おもはくは、掩室坐夏の仏意は、それ言説をもちゐるはことごとく実にあらず、善巧方便なり。至理は言語道断し、心行処滅なり。このゆゑに、無言無心は至理にかなふべし、有言有念は非理なり。このゆゑに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を断絶せるなりとのみいひいふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の仏意に孤負せり。

いはゆる、もし言語道断、心行処滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道断し、心行処滅なり。言語道断とは、一切の言語をいふ。心行処滅とは、一切の心行をいふ。いはんやこの因縁、もとより無言をたうとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人いまだのがれず、転法拯物いまだのがれざるのみなり。もし児孫と称ずるともがら、坐夏九旬を無言説なりといはば、還吾九旬坐夏来(吾れに九旬坐夏を還し来るべし)といふべし。

阿難に勅令していはく、汝代為我説、一切法不生、一切法不滅と代説せしむ。この仏儀、いたづらにすごすべからず。おほよそ、掩室坐夏、いかでか無言無説なりとせん。しばらく、もし阿難として当時すなはち世尊に白すべし、一切法不生、一切法不滅。作麼生説。縱説恁麼、要作什麼(一切法不生、一切法不滅。作麼生か説かん。縱ひ恁麼に説くも、什麼を作すことをか要せん)。かくのごとく白して、世尊の道を聴取すべし。

おほよそ而今の一段の仏儀、これ説法転法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の証據とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉劒、徒掛陶家壁上梭(憐れむべし三尺龍泉の劒、徒らに掛る陶家壁上の梭)ならん。

しかあればすなはち、九旬坐夏は古転法輪なり、古仏祖なり。而今の因縁のなかに、時将欲白夏とあり。しるべし、のがれずおこなはるる九旬坐夏安居なり、これをのがるるは外道なり。

おほよそ世尊在世には、あるいは忉利天にして九旬安居し、あるいは耆闍崛山静室中にして五百比丘と共に安居す。五天竺国のあひだ、ところを論ぜず、ときいたれば白夏安居し、九夏安居おこなはれき。いま現在せる仏祖、もとも一大事としておこなはるるところなり。これ修証の無上道なり。梵網経中に冬安居あれども、その法つたはれず、九夏安居の法のみつたはれり。正伝まのあたり五十一世なり。

清規云、行脚人欲就処所結夏、須於半月前掛搭。所貴茶湯人事、不倉卒(清規に云く、行脚の人、処所に就て結夏せんと欲はば、須らく半月前に於て掛搭すべし。貴するところは、茶湯人事倉卒ならざらんことを)。

いはゆる半月前とは、三月下旬をいふ。しかあれば、三月内にきたり掛搭すべきなり。すでに四月一日よりは、比丘僧ありきせず。諸方の接待および諸寺の旦過、みな門を鎖せり。しかあれば、四月一日よりは、雲衲みな寺院に安居せり、庵裡に掛搭せり。あるいは白衣舎に安居せる、先例なり。これ仏祖の儀なり、慕古し修行すべし。拳頭鼻孔、みな面々に寺院をしめて、安居のところに掛搭せり。

しかあるを、魔儻いはく、大乗の見解、それ要樞なるべし。夏安居は声聞の行儀なり、あながちに修習すべからず。かくのごとくいふともがらは、かつて仏法を見聞せざるなり。阿耨多羅三藐三菩提、これ九旬安居坐夏なり。たとひ大乗小乗の至極ありとも、九旬安居の枝葉花菓なり。

四月三日の粥罷より、はじめてことをおこなふといへども、堂司あらかじめ四月一日より戒臘の榜を理会す。すでに四月三日の粥罷に、戒臘牌を衆寮前にかく。いはゆる前門の下間の窓外にかく。寮窓みな櫺子なり。粥罷にこれをかけ、放参鐘ののち、これををさむ。三日より五日にいたるまでこれをかく。をさむる時節、かくる時節、おなじ。

かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のままにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座監寺とかくなり。数職をつとめたらんなかには、その内につとめておほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。小院の住持をつとめたりといへども、雲水にしられざるは、しばしばこれをかくして称ぜず。

もし師の会裏にしては、西堂なるもの、西堂の儀なし。某甲上座とかく例もあり。おほくは衣鉢侍者寮に歇息する、勝躅なり。さらに衣鉢侍者に充し、あるいは焼香侍者に充する、旧例なり。いはんやその余の職、いづれも師命にしたがふなり。他人の弟子のきたれるが、小院の住持をつとめたりといへども、おほきなる寺院にては、なほ首座書記、都寺監寺等に請ずるは、依例なり、芳躅なり。小院の小職をつとめたるを称ずるをば、叢林わらふなり。よき人は、住持をへたる、なほ小院をばかくして称ぜざるなり。榜式かくのごとし。

某国某州某山某寺、今夏結夏海衆、戒臘如後。
陳如尊者
堂頭和尚
建保元戒
某甲上座 某甲蔵主
某甲上座 某甲上座
建保二戒
某甲西堂 某甲維那
某甲首座 某甲知客
某甲上座 某甲浴主
建暦元戒
某甲直歳 某甲侍者
某甲首座 某甲首座
某甲化主 某甲上座
某甲典座 某甲堂主
建暦三戒
某甲書記 某甲上座
某甲西堂 某甲首座
某甲上座 某甲上座
右、謹具呈、若有誤錯、各請指揮。謹状(右、謹んで具呈す。若し誤錯有らば、各請すらくは指揮せんことを。謹んで状す)。
某年四月三日 堂司比丘某甲謹状

かくのごとくかく。しろきかみにかく。真書にかく、草書隷書等をもちゐず。かくるには、布線のふとさ両米粒許なるを、その紙榜頭につけてかくなり。たとへば、簾額のすぐならんがごとし。四月五日の放参罷にをさめをはりぬ。

四月八日は仏生会なり。
四月十三日の斎罷に、衆寮の僧衆、すなはち本寮につきて煎点諷経す。寮主ことをおこなふ。点湯焼香、みな寮主これをつとむ。寮主は衆寮の堂奥に、その位を安排せり。寮首座は、寮の聖僧の左辺に安排せり。しかあれども、寮主いでて焼香行事するなり。首座、知事等、この諷経に赴かず。ただ本寮の僧衆のみおこなふなり。

維那、あらかじめ一枚の戒臘牌を修理して、十五日の粥罷に、僧堂前の東壁にかく、前架のうへにあたりてかく。正面のつぎのみなみの間なり。
清規云、堂司預設戒臘牌、香華供養[在僧堂前設之](清規に云く、堂司預め戒臘牌を設けて、香華もて供養すべし[僧堂前に在りて之を設く])。

四月十四日の斎後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。

念誦の法は、大衆集定ののち、住持人まづ焼香す。つぎに知事、頭首、焼香す。浴仏のときの焼香の法のごとし。つぎに維那、くらゐより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、

竊以蝉風扇野、炎帝司方。当法王禁足之辰、是釈子護生之日。躬裒大衆、肅詣霊祠、誦持万徳洪名、回向合堂真宰。所祈加護得遂安居。仰憑尊衆念(竊に以みるに、蝉風野を扇ぎ、炎帝方を司る。法王禁足の辰に当る、是れ釈子護生の日なり。躬ら大衆を裒めて、肅んで霊祠に詣し、万徳の洪名を誦持し、合堂の真宰に回向す。祈る所は加護して安居を遂ぐるを得んことを。仰いで尊衆を憑んで念ず)。

清浄法身毘盧遮那仏 金打
円満報身盧遮那仏 同
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏 同
十方三世一切諸仏 同
大聖文殊師利菩薩 同
大聖普賢菩薩 同
大悲観世音菩薩 同
諸尊菩薩摩訶薩 同
摩訶般若波羅蜜 同

上来念誦功徳、竝用回向、護持正法、土地龍神。伏願、神光協贊、発揮有利之勳。梵楽興輏、亦錫無私之慶。再憑尊衆念(上来念誦の功徳、竝びに用つて正法を護持せん土地龍神に回向す。伏して願はくは神光協贊し、有利の勳を発揮せんことを。梵楽興輏して、亦た無私の慶を錫はらんことを。再び尊衆を憑んで念ず)。
十方三世一切諸仏、
諸尊菩薩摩訶薩、
摩訶般若波羅蜜。

時に鼓響すれば、大衆すなはち雲堂の点湯の座に赴す。点湯は庫司の所弁なり。大衆赴堂し、次第巡堂し、被位につきて正面而坐す。知事一人行法事す。いはゆる焼香等をつとむるなり。

清規云、本合監院行事。有改維那代之(清規に云く、本としては監院行事すべし。改むること有らば維那之に代るべし)。

すべからく念誦已前に写牓して首座に呈す。知事、搭袈裟帯坐具して首座に相見するとき、あるいは両展三拝しをはりて、牓を首座に呈す。首座、答拝す。知事の拝とおなじかるべし。牓は箱に複楸子(「礻」へんに「秋」)をしきて、行者にもたせてゆく。首座、知事をおくりむかふ。
牓式
庫司今晩就
雲堂煎点、特為
首座
大衆、聊表結制之儀。伏冀
衆慈同垂
光降。
寛元元年四月十四日 庫司比丘某甲等謹白

知事の第一の名字をかくなり。牓を首座に呈してのち、行者をして雲堂前に貼せしむ。堂前の下間に貼するなり。前門の南頬の外面に、を貼いる板あり。このいた、ぬれり。

殼漏子あり。殼漏子は、牓の初にならべて、竹釘にてうちつけたり。しかあれば、殼漏子もかたはらに押貼せり。この牓は如法につくれり。五分許の字にかく、おほきにかかず。殼漏子の表書は、かくのごとくかく。

状請 首座 大衆 庫司比丘某甲等謹封
煎点をはりぬれば、牓ををさむ。

十五日の粥前に、知事、頭首、小師、法眷、まづ方丈内にまうでて人事す。住持人もし隔宿より免人事せば、さらに方丈にまうづべからず。

免人事といふは、十四日より、住持人、あるいは頌子あるいは法語をかける牓を、方丈門の東頬に貼せり。あるいは雲堂前にも貼す。

十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて堦のまへにたつ。拝席の北頭をふみて、面南してたつ。知事、近前して両展三拝す。

一展云、此際安居禁足、獲奉巾瓶。唯仗和尚法力資持、願無難事(一展して云く、此際の安居禁足、巾瓶奉することを獲たり。ただ和尚の法力の資持に仗りて、願はくは難事無からんことを)。
一展、叙寒暄(一展して寒暄を叙す)、触礼三拝。
叙寒暄云者、展坐具三拝了、收坐具、進云、即辰孟夏漸熱。法王結制之辰、伏惟、堂頭和尚、法候動止万福、下情不勝感激之至(叙寒暄といふは、展坐具三拝了に、坐具を收め、進んで云く、辰孟夏漸くに熱なり。法王結制の辰、伏して惟れば堂頭和尚、法候動止万福、下情感激の至りに勝へず)。

かくのごとくして、その次、触礼三拝。言葉なし、住持人みな答拝す。
住持人念、此者多幸得同安居、亦冀某[首座監寺]人等、法力相資、無諸難事(此者多幸にも同じく安居すること得たり、亦た冀はくは某[首座監寺]人等、法力相資け、諸の難事無からんことを)。
首座大衆、同此式也(此の式に同ず)。

このとき、首座大衆、知事等、みな面北して礼拝するなり。住持人ひとり面南にして、法座の堦前に立せり。住持人の坐具は、拝席のうへに展ずるなり。

つぎに首座大衆、於住持人前、両展三拝(首座大衆、住持人の前に両展三拝す)。このとき、小師、侍者、法眷、沙弥、在一辺立。未得与大衆雷同人事(小師、侍者、法眷、沙弥、一辺に在りて立す。未だ大衆と雷同して人事することを得ず)。

いはゆる一辺にありてたつとは、法堂の東壁のかたはらにありてたつなり。もし東壁辺に施主の垂箔のことあらば、法鼓のほとりにたつべし、また西壁辺にも立すべきなり。

大衆礼拝をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す。いはゆる知事と触礼三拝するなり。

このとき小師、侍者、法眷等は、法堂上にて住持人を礼拝す。法眷は両展三拝すべし、住持人の答拝あり。小師、侍者、おのおの九拝す。答拝なし。沙弥九拝、あるいは十二拝なり。住持人合掌してうくるのみなり。

つぎに首座、僧堂前にいたりて、上間の知事床のみなみのはしにあたりて、雲堂の正面にあたりて、面南にて大衆にむかうてたつ。大衆面北して、首座にむかうて触礼三拝す。首座、大衆をひきて入堂し、戒臘によりて巡堂立定す。知事入堂し、聖僧前にて大展礼三拝しておく。つぎに首座前にて触礼三拝す。大衆答拝す。知事、巡堂一迊して、いでてくらゐによりて叉手してたつ。

住持人入堂、聖僧前にして焼香、大展三拝起(大展三拝して起く)。このとき、小師於聖僧後避立。法眷隨大衆(小師、聖僧の後に避けて立つ。法眷、大衆に隨ふ)。

つぎに住持人、於首座触礼三拝(首座に於て触礼三拝す)。
いはく、住持人、ただくらゐによりてたち、面南にて触礼す。首座大衆答拝、さきのごとし。
住持人、巡堂していづ。首座、前門の南頬よりいでて住持人をおくる。

住持人出堂ののち、首座已下、対礼三拝していはく、此際幸同安居、恐三業不善、且望慈悲(此の際幸ひに安居を同じうす、三業不善ならんことを恐る、且望すらくは慈悲あらんことを)。

この拝は、展坐具三拝なり。かくのごとくして首座、書記、蔵主等、おのおのその寮にかへる。もしそれ衆寮僧は、寮主、寮首座已下、おのおの触礼三拝す。致語は堂中の法におなじ。

住持人こののち、庫堂よりはじめて巡堂す。次第に大衆相隨、送至方丈。大衆乃退(大衆相隨ひて、送つて方丈に至りて、大衆乃ち退す)。

いはゆる住持人まづ庫堂にいたる、知事と人事しをはりて、住持人いでて巡堂すれば、知事しりへにあゆめり。知事のつぎに、東廊のほとりにあるひとあゆめり。住持人このとき延寿院にいらず。東廊より西におりて、山門をとほりて巡寮すれば、山門の辺の寮にある人、あゆみつらなる。みなみより西の廊下および諸寮に巡る。このとき、西をゆくときは北にむかふ。このときより、安老、勤旧前資、頤堂、単寮のともがら、浄頭等、あゆみつらなれり。維那、首座等あゆみつらなるつぎに、衆寮の僧衆あゆみつらなる。巡寮は、寮の便宜によりてあゆみくははる。これを大衆相送とはいふ。

かくのごとくして、方丈の西階よりのぼりて、住持人は方丈の正面のもやの住持人のくらゐによりて、面南にて叉手してたつ。大衆は知事已下みな面北にて住持人を問訊す。この問訊、ことにふかくするなり。住持人、答問訊あり。大衆退す。

先師方丈大衆をひかず、法堂にいたりて、法座の堦前にして面南叉手してたつ、大衆問訊して退す、これ古往の儀なり。

しかうしてのち、衆僧おのおの心にしたがひて人事す。

人事とは、あひ礼拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は堂中の法になずらふ。人にしたがひて今案の言葉も存ず。

あるいは小師をひきゐたる本師あり、これ小師かならず本師を拝すべし、九拝をもちゐる。法眷の住持人を拝する、両展三拝なり。あるいはただ大展三拝す。法眷のともに衆にあるは、拝おなじかるべし。師叔、師伯、またかならず拝あり。隣単隣肩みな拝す、相識道旧ともに拝あり。単寮にあるともがらと、首座、書記、蔵主、知客、浴司等と、到寮拝賀すべし。単寮にあるともがらと、都寺監寺、維那、典座直歳、西堂、尼師、道士等とも、到寮到位して拝賀すべし。到寮せんとするに、人しげくして入寮門にひまをえざれば、牓をかきてその寮門におす。その牓は、ひろさ一寸余、ながさ二寸ばかりなる白紙にかくなり。かく式は、

某寮 某甲
拝賀
又の式
巣雲 懐昭等
拝賀
又の式
某甲
礼賀
又の式
某甲
拝賀
又の式
某甲
礼拝

かくしき、おほけれど、大旨かくのごとし。しかあれば、門側にはこの牓あまたみゆるなり。門側には左辺におさず、門の右におすなり。この牓は、斎罷に、本寮主をさめとる。今日は、大小諸堂諸寮、みな門簾をあげたり。

堂頭、庫司、首座、次第に煎点といふことあり。しかあれども、遠島深山のあひだには省略すべし。ただこれ礼数なり。退院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事、頭首のために特為煎点するなり。

かくのごとく結夏してより、功夫弁道するなり。衆行を弁肯せりといへども、いまだ夏安居せざるは仏祖の児孫にあらず、また仏祖にあらず。孤独園、霊鷲山、みな安居によりて現成せり。安居の道場、これ仏祖の心印なり、諸仏の住世なり。

解夏七月十三日、衆寮煎点諷経。またその月の寮主これをつとむ。
十四日、晩念誦。
来日陞堂。人事、巡寮、煎点、竝同結夏。唯牓状詞語、不同而已(人事、巡寮、煎点、竝びに結夏に同じ。唯牓状の詞語、不同なるのみ)。

庫司湯牓云、庫司今晩、就雲堂煎点、特為首座大衆、聊表解制之儀。伏冀衆慈同垂光降(庫司湯牓に云く、庫司今晩、雲堂に就て煎点す。特に首座大衆の為にし、聊か解制の儀を表す。伏して冀はくは衆慈同じく光降を垂れんことを)。
庫司比丘某甲 白
土地堂念誦詞云、切以金風扇野、白帝司方。当覚皇解制之時、是法歳周円之日。九旬無難、一衆咸安。誦持諸仏洪名、仰報合堂真宰。仰憑大衆念(土地堂念誦の詞に云く、切に以みれば金風野を扇ぎ、白帝方を司る。覚皇解制の時に当り、是れ法歳周円の日なり。九旬難無く、一衆咸安なり。諸仏の洪名を誦持し、仰いで合堂の真宰に報ず。仰いで大衆を憑んで念ず)。

これよりのちは結夏の念誦におなじ。
陞堂罷、知事等、謝詞にいはく、伏喜法歳周円、無諸難事。此蓋和尚道力廕林、下情無任感激之至(伏して喜すらくは法歳周円し、諸々の難事無かりしことを。此れ蓋し和尚道力の廕林なり、下情感激の至りに任へず)。

住持人謝詞いはく、此者法歳周円、皆謝某[首座監寺]人等法力相資、不任感激之至(此者法歳周円す、皆な某[首座監寺]人等の法力相資せるを謝す、感激の至りに任へず)。
堂中首座已下、寮中寮主已下、謝詞いはく、九夏相依、三業不善、悩乱大衆、伏望慈悲(九夏相依す、三業不善なり、大衆を悩乱せり。伏して望むらくは慈悲あらんことを)。
知事、頭首告云、衆中兄弟行脚、須候茶湯罷、方可隨意[如有緊急縁事、不在此限](知事、頭首告して云く、衆中の兄弟行脚せんには、須らく茶湯罷を候つて、方に隨意なるべし[如し緊急の縁事有らば、此の限りに在らず])。

この儀は、これ威音、空王の前際後際よりも頂量なり。仏祖のおもくすること、ただこれのみなり。外道天魔のいまだ惑乱せざるは、ただこれのみなり。三国のあひだ、仏祖の児孫たるもの、いまだひとりもこれをおこなはざるなし。外道はいまだまなびず、仏祖一大事の本懐なるがゆゑに、得道のあしたより涅槃のゆふべにいたるまで、開演するところ、ただ安居の宗旨のみなり。西天の五部の僧衆ことなれども、おなじく九夏安居を護持してかならず修証す。震旦の九宗の僧衆、ひとりも破夏せず。生前に全て九夏安居せざらんをば、仏弟子、比丘僧と称ずべからず。ただ因地に修習するのみにあらず、果位の修証なり。大覚世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如なく修証しましませり。しるべし、果上の仏証なりといふこと。

しかあるを、九夏安居は修証せざれども、我は仏祖の児孫なるべしといふは、わらふべし。わらふにたへざるおろかなるものなり。かくのごとくいはんともがらのこと葉をばきくべからず。共語すべからず、同坐すべからず、ひとつみちをあゆむべからず。仏法には、梵壇の法をもて悪人を治するがゆゑに。

ただまさに九夏安居これ仏祖と会取すべし、保任すべし。その正伝しきたれること、七仏より摩訶迦葉におよぶ。西天二十八祖、嫡々正伝せり。第二十八祖みづから震旦にいでて、二祖大祖正宗普覚大師をして正伝せしむ。二祖よりこのかた、嫡々正伝して而今に正伝せり。震旦にいりてまのあたり仏祖の会下にして正伝し、日本国に正伝す。

すでに正伝せる会にして九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正伝するなり。この人と共住して安居せんは、まことの安居なるべし。まさしく仏在世の安居より嫡々面授しきたれるがゆゑに、仏面祖面まのあたり正伝しきたれり。仏祖身心したしく証契しきたれり。かるがゆゑにいふ、安居をみるは仏をみるなり、安居を証するは仏を証するなり。安居を行ずるは仏を行ずるなり、安居をきくは仏をきくなり、安居をならふは仏を学するなり。

おほよそ九旬安居を、諸仏諸祖いまだ違越しましまさざる法なり。しかあればすなはち、人王、釈王、梵王等、比丘僧となりて、たとひ一夏なりといふとも安居すべし。それ見仏ならん。

人衆、天衆、龍衆、たとひ一九旬なりとも、比丘比丘尼となりて安居すべし。すなはち見仏ならん。仏祖の会にまじはりて九旬安居しきたれるは見仏来なり。我らさいはひにいま露命のおちざるさきに、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、すでに一夏安居するは、仏祖の皮肉骨髓をもて、みづからが皮肉骨髓に換却せられぬるものなり。

仏祖きたりて我らを安居するがゆゑに、面々人人の安居を行ずるは、安居の人人を行ずるなり。恁麼なるがゆゑに、安居あるを千仏万祖といふのみなり。ゆゑいかんとなれば、安居これ仏祖の皮肉骨髓、心識身体なり。頂眼睛なり、拳頭鼻孔なり。円相仏性なり、払子挂杖なり、竹箆蒲団なり。安居はあたらしきをつくりいだすにあらざれども、ふるきをさらにもちゐるにはあらざるなり。

世尊告円覚菩薩、及諸大衆、一切衆生言、若経夏首三月安居、当為清浄菩薩止住。心離声聞、不假徒衆。至安居日、即於仏前作如是言。我比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、踞菩薩乗修寂滅行、同入清浄実相住持。以大円覚為我伽藍、心身安居。平等性智、涅槃自性、無繋属故。今我敬請、不依声聞、当与十方如来及大菩薩、三月安居。為修菩薩無上妙覚大因縁故、不繋徒衆。善男子、此名菩薩示現安居

(世尊、円覚菩薩、及び諸の大衆、一切衆生に告げて言はく、若し夏首より三月の安居を経ば、当に清浄菩薩の止住たるべし。心、声聞を離れて徒衆を假らざれ。安居の日に至りなば、即ち仏前に於て是の如くの言を作すべし。我れ比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、菩薩乗に踞して寂滅の行を修す、同じく清浄実相に入りて住持せん。大円覚を以て我が伽藍と為して心身安居せん。平等性智、涅槃自性、繋属無きが故に。今我れ敬請す、声聞に依らず、当に十方如来、及び大菩薩と共に、三月安居すべし。菩薩の無上妙覚大因縁を修せんが為の故に、徒衆を繋せず。善男子、此れを菩薩の示現安居と名づく)。

しかあればすなはち、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷等、かならず安居三月にいたるごとには、十方如来および大菩薩と共に、無上妙覚大因縁を修するなり。しるべし、優婆塞優婆夷も安居すべきなり。この安居のところは大円覚なり。しかあればすなはち、鷲峰山、孤独園、おなじく如来の大円覚伽藍なり。十方如来及大菩薩、ともに安居三月の修行あること、世尊のをしへを聴受すべし。

世尊於一処、九旬安居、至自恣日、文殊倏来在会(世尊一処に九旬安居したまひしに、自恣の日に至つて、文殊倏ちに来つて会に在り)。
迦葉問文殊、今夏何処安居(迦葉文殊に問ふ、今夏何れの処にか安居せる)。
文殊云、今夏在三処安居(文殊云く、今夏三処に在つて安居せり)。

迦葉於是集衆白槌欲擯文殊。纔挙犍槌、即見無量仏刹顕現、一々仏所有一々文殊、有一々迦葉、挙槌欲擯文殊(迦葉是に於て集衆し白槌して文殊を擯せんとす。纔かに犍槌を挙するに、即ち無量の仏刹顕現し、一々の仏所に一々の文殊有り、一々の迦葉有り、挙槌して文殊を擯せんとするを見る)。

世尊於是告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊(世尊是に於て迦葉に告げて云く、汝今阿那箇の文殊を擯せんとするや)。
于時迦葉茫然(時に迦葉茫然たり)。
圜悟禅師拈古云、
鐘不撃不響(鐘撃たざれば響かず)、
鼓不打不鳴(鼓打たざれば鳴らず)。
迦葉既把定要津(迦葉既に要津を把定すれば)、
文殊乃十方坐断(文殊乃ち十方坐断す)。
当時好一場仏事(当時好一場の仏事なり)。
可惜放過一著(惜しむべし、一著を放過せることを)。

待釈迦老子道欲擯阿那箇文殊、便与撃一槌看、他作什麼合殺(釈迦老子の阿那箇の文殊をか擯せんとすると道せんを待つて、便ち撃一槌を与へて看るべし、他什麼の合殺をか作す)。

圜悟禅師頌古云、
大象不遊兔径(大象は兔径に遊ばず)、
燕雀安知鴻鵠(燕雀安くんぞ鴻鵠を知らん)。
據令宛若成風(據令宛も風を成すが若し)、
破的渾如囓鏃(破的渾て鏃を囓むが如し)。
徧界是文殊(徧界是れ文殊)、
徧界是迦葉(徧界是れ迦葉)、
相対各儼然(相対しておのおの儼然たり)。
挙椎何処罰好一箚(挙椎何れの処か罰せん好一箚)、
金色頭陀曽落却(金色の頭陀曽て落却せり)。

しかあればすなはち、世尊一処安居、文殊三処安居なりといへども、いまだ不安居あらず。もし不安居は、仏及菩薩にあらず。仏祖の児孫なるもの安居せざるはなし、安居せんは仏祖の児孫としるべし。安居するは仏祖の身心なり、仏祖の眼睛なり、仏祖の命根なり。安居せざらんは仏祖の児孫にあらず、仏祖にあらざるなり。いま泥木、素金、七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり。
おほよそ仏祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月、つとむべし。

正法眼蔵第七十二

爾時寛元三年乙巳夏安居六月十三日在越宇大仏寺示衆

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