【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。また先人の言なれども堅く執する事なかれ。もし是れもあしくもや有らん、信ずるにつけてもと思うて、勝れたる事あらば次第につくべきなり。

忠国師の会に、有る供奉来れりしに、国師問うて云く、「南方の草の色如何。」
奉云く、「黄色なり。」
また、国師の童子の有りけるに問えば、同じく童子も「黄色なり。」と答えしかば、
国師、供奉に云く、「汝が見、童子にこえず。汝も黄色なりと云う。是れ同見なるべし。然れば、童子、国皇の師として真色を答えし、汝が見所常途にこえず。」と。

後来、有る人云く、「供奉が常途にこえざる、何のとがか有らん。童子と同じく真色を説く。是れこそ真の知識たらめ。」と云って、国師の義をもちいず。
故に知りぬ、古人の言をもちいず、ただ誠の道理を存ずべきなり。疑心はあしき事なれども、また信ずまじき事をかたく執して、尋ぬべき義をもとぶらわざるはあしきなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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