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ブッダ最後の旅【 第3章 】12、大地震に関連して

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第3章 】

12、大地震に関連して

10 そこで尊師は、チャーパーラ霊樹のもとにおいて念じて、よく気を付けて寿命の素因(潜勢力)を捨て去られた。尊師が寿命の素因を捨て去られた時に、大地震が起こった。人々を恐怖させ、身の毛もよだたせ、神々の天鼓は破裂した(雷鳴があった)。そこで尊師は、その意義を知って、その時この感興の言葉を発せられた。

「量られ、また量られない身の成立するもとである生存の素因を、聖者(ブッダ)は捨て去られた。
みずから内心に楽しみ、精神統一をして、殻のような自己の成り立つもとを破壊した」と。


(2004年 管理人撮影/菩提樹)

11 そこで若き人アーナンダはこのように思った。「ああ、まことに不思議なことだ。ああ、まことに奇異なことだ。この大きな地震が起こったとは。この地震は物凄くて、人々を恐怖させ、身の毛もよだち、神々の天鼓は破裂してしまった。一体大きな地震の起こる原因は何なのでしょうか?条件は何なのでしょうか?」

12 そこで若き人アーナンダ尊師のいますところに赴いた。赴いてから、尊師に挨拶して、一方に坐った。さて、一方に坐った若き人アーナンダ尊師に次のように言った。

「尊い方よ。ああ、まことに不思議なことです。ああ、まことに奇異なことです。この大きな地震が起こったとは。この地震は物凄くて、人々を恐怖させ、身の毛もよだち、神々の天鼓は破裂してしまいました。一体大きな地震の起こる原因は何なのでしょうか?条件は何なのでしょうか?」と。

13 「アーナンダよ。大きな地震が現れるためにはこの八つの原因、八つの条件がある。その八つとは何であるか?アーナンダよ。この大地は水の上に安立し、水は風の上に安立し、風は虚空の上に存する。アーナンダよ。だから、まことに大きな風が吹く時、大きな風が吹いて水を動揺させる時、動かされた水は地を動揺させる。これが大きな地震が起こるための第一の原因、第一の条件である。

14 さらにまた、アーナンダよ。神通力があり、他人の心を支配する力のある修行者(沙門)またはバラモンがいて、あるいは大いなる神通力・大いなる威力のある神霊がいて、地の想いをわずかに修し、水の想いを限りなく多く修したとしよう。その人はこの大地を動揺させ、振動させ、激しく震動させる。これが、大きな地震が起こるための第二の原因、第二の条件なのである。

15 さらにまた、アーナンダよ。ボーディサッタ(悟りを開く前のブッダ)兜率天の身体から没して、念じ、よく気を付けて、母胎に入る時、その時この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第三の原因、第三の条件なのである。

16 さらにまた、アーナンダよ。ボーディサッタが念じ、よく気を付けて、母摩耶夫人の母胎から外に出る時、この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第四の原因、第四の条件なのである。

17 さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来ブッダ)が無上の正しい完全な悟りを悟る時、この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第五の原因、第五の条件なのである。

18 さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来ブッダ)が無上の法輪を回転する時(説法を為す時)、この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第六の原因、第六の条件なのである。

19 さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来ブッダ)が念じ、よく気を付けていて、寿命の素因を捨て去った時、この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第七の原因、第七の条件なのである。

20 さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来ブッダ)が煩悩の残余のないニルヴァーナの境地において完全なニルヴァーナに入る時、この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起こるための第八の原因、第八の条件なのである。

21 アーナンダよ。ここに八つの集いがある。その八つとは何であるか?王族の集い、バラモンの集い、資産者の集い、修行者の集い四天王に属する衆の集い三十三天の神々の集い、悪魔の集い、梵天の衆の集いである。

22 アーナンダよ。わたしは幾百という王族の集いに近づいて、そこでわたしが、かつて共に集まって坐し、かつて共に語り、かつて議論にふけったことをありありと想い出す。その場合わたしの皮膚の色は、彼らの皮膚の色に似ていた。わたしの声は、彼らの声に似ていた。

わたしは法に関する講話によって彼らを教え、諭し、励まし、喜ばせた。ところが、話をしているわたしを彼らは知らなかった。『この話をしているこの人は誰であるか?神か?人か?』と言って。
わたしは法に関する講話によって彼らを教え、諭し、励まし、喜ばせて、姿を隠した。ところが姿を隠したわたしのことを彼らは知らなかった。『この姿を隠した者は』誰であるか?神か?人か?』と言って。

23 アーナンダよ。わたしは幾百というバラモンの集いに近づいて・・・
資産者の集いに近づいて・・・
修行者の集いに近づいて・・・
四天王に属する衆の集いに近づいて・・・
三十三天の神々の集いに近づいて・・・
悪魔の集いに近づいて・・・
梵天の衆の集いに近づいて・・・

そこでわたしが、かつて共に集まって坐し、かつて共に語り、かつて議論にふけったことをありありと想い出す。その場合にわたしの皮膚の色は、彼らの皮膚の色に似ていた。わたしの声は、彼らの声に似ていた。

わたしは法に関する講話によって彼らを教え、諭し、励まし、喜ばせた。ところが、話をしているわたしを彼らは知らなかった。『この話をしているこの人は誰であるか?神か?人か?』と言って。
わたしは法に関する講話によって彼らを教え、諭し、励まし、喜ばせて、姿を隠した。ところが姿を隠したわたしのことを彼らは知らなかった。『この姿を隠した者は』誰であるか?神か?人か?』と言って。
アーナンダよ。これらが八つの集いである。

24 アーナンダよ。これらの八つの支配して打ち克つ境地(勝処)がある。その八つとは、どれどれであるか?

25 ある人は、内心に物質的なもの色(しき)の想いをいだき、外面的な物質的なものを限られたわずかの、好い色、悪い色のものと見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第一の支配して打ち克つ境地である。

26 ある人は、内心に物質的なもの色(しき)の想いをいだき、外面的な物質的なものを限りの無い、好い色、悪い色のものと見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第二の支配して打ち克つ境地である。

27 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)の想いをいだき、外面的な物質的なものを限られた、好い色、悪い色のものと見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第三の支配して打ち克つ境地である。

28 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)の想いをいだき、外面的な物質的なものを限られない、好い色、悪い色のものと見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第四の支配して打ち克つ境地である。

29 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)という想いをいだき、外面的な諸々の物質的なものを、青く、青色の、青い外観の、青い艶(つや)のものと見なす。例えば青く、青色の、青い外観の、青い艶のウンマー華の如くであるとか、あるいは例えば青く、青色の、青い外観の、青い艶の、両面が滑らかなバラナシ産の衣の如くであると見なして、内心に物質的ならざるものを想い、外面的な物質的なものをそのように、青く、青色の、青い外観の、青い艶のものであると見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第五の支配して打ち克つ境地である。

30 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)という想いをいだき、外面的な諸々の物質的なものを、黄色く、黄色の、黄色い外観の、黄色い艶(つや)のものと見なす。例えば黄色く、黄色の、黄色い外観の、黄色い艶のカニカーラ華の如くであるとか、あるいは例えば黄色く、黄色の、黄色い外観の、黄色い艶の、両面が滑らかなバラナシ産の衣の如くであると見なして、内心に物質的ならざるものを想い、外面的な物質的なものをそのように、黄色く、黄色の、黄色い外観の、黄色い艶のものであると見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第六の支配して打ち克つ境地である。

31 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)という想いをいだき、外面的な諸々の物質的なものを、赤く、赤色の、赤い外観の、赤い艶(つや)のものと見なす。例えば赤く、赤色の、赤い外観の、赤い艶のバンドゥジーヴァカ華の如くであるとか、あるいは例えば赤く、赤色の、赤い外観の、赤い艶の、両面が滑らかなバラナシ産の衣の如くであると見なして、内心に物質的ならざるものを想い、外面的な物質的なものをそのように、赤く、赤色の、赤い外観の、赤い艶のものであると見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第七の支配して打ち克つ境地である。

32 ある人は、内心に物質的ならざるもの無色(むしき)という想いをいだき、外面的な諸々の物質的なものを、白く、白色の、白い外観の、白い艶(つや)のものと見なす。例えば白く、白色の、白い外観の、白い艶の、明けの明星(太白金星)の如くであるとか、あるいは例えば白く、白色の、白い外観の、白い艶の、両面が滑らかなバラナシ産の衣の如くであると見なして、内心に物質的ならざるものを想い、外面的な物質的なものをそのように、白く、白色の、白い外観の、白い艶のものであると見なして、それらに打ち克って、我は知り、我は見ると、このような想いを為す。これが第八の支配して打ち克つ境地である。

33 アーナンダよ。これら八つの解脱がある。その八つとは、どれどれであるか?

内心において物質的なものという想いをいだいている者が、外において物質的なものを見る。これが第一の解脱である。
内心に物質的ならざるものという想いをいだく者が、外部において物質的なものを見る。これが第二の解脱である。
すべてのものを浄らかであると認めていること、これが第三の解脱である。
物質的なものという想いを全く超越して、抵抗感を消滅し、別のものという想いを起こさないことによって、すべては無辺なる虚空であると観じて、空無辺処に達して住する。これが第四の解脱である。
空無辺処を全く超越して、すべては無辺なる識であると観じて、識無辺処に達して住する。これが第五の解脱である。
識無辺処を全く超越して、何ものも存在しないと観じて、無所有処(何も無いという境地)に達して住する。これが第六の解脱である。
無所有処を全く超越して、非想非非想処(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の解脱である。
非想非非想処を全く超越して、想受滅(表象も感受も消滅する境地)に達して住する。これが第八の解脱である。
アーナンダよ。これらが八つの解脱である。

34 アーナンダよ。わたしがかつてある時、ウルヴェーラにおいて、ネーランジャラー河の岸辺で、初めて悟りを開いて、アジャーパーラというバニヤンの樹のもとに住していたことがあった。その時、アーナンダよ。悪魔・悪しき者がわたしに近づいた。近づいて一方に立った。アーナンダよ。一方に立って、悪魔・悪しき者は、わたしにこのように言った。

『尊い方よ。尊師は今ニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方はニルヴァーナにお入り下さい。今こそ尊師のお亡くなりになるべき時です』と。

35 アーナンダよ。このように言われた時に、わたしは悪魔・悪しき者に次のように言った。

『わが修行僧である弟子たちが、賢明にしてよく身を整え、事柄を確かに知っていて学識あり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったことおよび師から教えられたことを保って解脱し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。

我が尼僧たち、女性の弟子たちが、賢明にしてよく身を整え、事柄を確かに知っていて学識あり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったことおよび師から教えられたことを保って解脱し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。

我が在俗信者たち、男性の弟子たちが、賢明にしてよく身を整え、事柄を確かに知っていて学識あり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったことおよび師から教えられたことを保って解脱し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。

我が在俗信女たち、女性の弟子たちが、賢明にしてよく身を整え、事柄を確かに知っていて学識あり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったことおよび師から教えられたことを保って解脱し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。

悪しき者よ。我がこの清浄行が栄え、盛んとなり、広がり、多くの人々に知られ、ついに神々および人々の住む限りのところで、広く説かれて諸方面に広がらない間は、わたしは亡くなりはしないであろう』と。

36 アーナンダよ。そうして今また、今日、チャーパーラ霊樹のもとで、悪魔・悪しき者はまた、わたしに近づいた。近づいて一方に立った。アーナンダよ。一方に立って、悪魔・悪しき者は、わたしにこう言った。

『尊い方よ。尊師は今ニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方(ブッダ)は今ニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師のお亡くなりになるべき時です。尊師はかつてこの言葉を仰せられました。

(悪しき者よ。我が修行僧である我が弟子どもが、賢明にして、よく身を整え、事柄を確かに知っていて、学識があり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったこと及び師から教えられたことを保って、解説し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしはニルヴァーナに入りはしないであろう)と。

しかるに尊い方よ。今や尊師修行僧である弟子たちは賢明にして、よく身を整え、事柄を確かに知っていて、学識があり、法を保ち、法に従って行い、正しい実践をなし、適切な行いをなし、みずから知ったこと及び師から教えられたことを保って、解説し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、明らかにし、異論が起こった時には、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを論じ返し得ないものとして説いています。

尊い方よ。尊師は今ニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方は今ニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師のお亡くなりになるべき時です。

また尊い方よ。尊師はかつてこの言葉を説かれました。
『悪しき者よ。我が尼僧である弟子たちが、・・・
・・・我が在俗信者である弟子たちが、・・・
・・・我が在俗信女である弟子たちが、・・・
・・・我が清浄行が栄え、盛んとなり、広がり、多くの人々に知られ、行き渡り、ついに神々や人々によく説き明かされないであろう間は、わたしはニルヴァーナに入らないであろう』と。

尊い方よ。しかるに今や尊師の清浄行が栄え、盛んとなり、広がり、多くの人々に知られ、ついに神々および人々の住む限りのところで、広く説かれて諸方面に広がっています。尊い方よ。尊師は今ニルヴァーナに入って下さい。幸いな方は今ニルヴァーナに入って下さい。今こそ尊師のお亡くなりになるべき時です」と。

37 アーナンダよ。このように言われた時に、わたしは悪魔・悪しき者にこう言った。

『悪しき者よ。お前は安心していなさい。修行完成者のニルヴァーナが起こるのは遠くはないであろう。今から三か月過ぎて後に修行完成者は亡くなるであろう」と。

アーナンダよ。そうして今、チャーパーラ霊樹のもとにおいて、今日、修行を完成した方は、念じ、よく気を付けて、寿命の素因(いのちのもと)を捨て去ったのである」と。

38 このように説かれた時に、若き人アーナンダ尊師に次のように言った。
「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために」と。

アーナンダよ。今はおやめなさい。修行完成者に懇請してはいけない。今は修行完成者に懇請すべき時ではない。」

39 若き人アーナンダは再び尊師に言った。
「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために」と。

アーナンダよ。今はおやめなさい。修行完成者に懇請してはいけない。今は修行完成者に懇請すべき時ではない。」

若き人アーナンダは三度尊師に言った。
「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために」と。
アーナンダよ。あなたは修行完成者の達成した悟りを信じますか?」
「はい。尊い方よ。」

「それでは、アーナンダよ。あなたは何故三度までも、修行完成者を悩ませたのですか?」

40 尊い方よ。わたくしはこの言葉を尊師の面前でお聞きし、まのあたり体得しました。『アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた。彼は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう』と。

アーナンダよ。あなたはそのことを信じますか?」
「はい。尊い方よ。」

「それならば、アーナンダよ。これはあなたの罪である。あなたの過失である。修行完成者(ブッダ)がこのようにあらわにほのめかされ、あらわに明示されたけれども、あなたは洞察することができなくて、尊師に対して『尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世間の人々をあわれむために、神々と人々との利益のために、幸福のために』と願わなかったのは。

もしもあなたが修行完成者に懇請したならば、修行完成者(ブッダ)はあなたの二度にわたる懇請の言葉を退けたかもしれないが、しかし、三度まで言ったならば、それを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはあなたの罪である。あなたの過失である。

41 アーナンダよ。かつてある時、わたしは王舎城のうちの鷲の峰に住していた。アーナンダよ。そこでもわたしはあなたに告げて言った。

アーナンダよ。王舎城は楽しい。鷲の峰という山は楽しい。
アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた。彼は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。』

アーナンダよ。修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ、あらわに明示されたのに、あなたは洞察することができなくて、『尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人々との利益のために、幸福のために』と修行完成者(ブッダ)に懇請しなかった。

もしもあなたが修行完成者に懇請したならば、修行完成者(ブッダ)はあなたの二度にわたる懇請の言葉を退けたかもしれないが、しかし、三度まで言ったならば、それを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはあなたの罪である。それはあなたの過失である。

42 アーナンダよ。かつてある時、わたしは同じ王舎城のうちで、バニヤンの樹木の園に住していた。・・・乃至・・・その同じ王舎城のうちで、チョーラ(盗賊)崖に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、ヴェーバーラ山腹にある七葉窟に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、仙人山の山腹にある黒岩窟に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、寒林にある蛇頭岩の洞窟に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、タポーダ園に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、竹林にあるカランダカリス園に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、医師ジーヴァカのマンゴー樹園に住していた。・・・乃至・・・同じ王舎城のうちで、マッダクッチにある鹿園に住していた。

43 アーナンダよ。そこでもわたしはあなたに言った。
アーナンダよ。王舎城は楽しい。鷲の峰という山は楽しい。ゴータマというバニヤンの樹は楽しい。チョーラ崖は楽しい。ヴェーバーラ山腹にある七葉窟は楽しい。仙人山の山腹にある黒岩窟は楽しい。寒林にある蛇頭岩の洞窟は楽しい。タポーダ園は楽しい。竹林にあるカランダカリス園は楽しい。医師ジーヴァカのマンゴー樹園は楽しい。マッダクッチにある鹿園は楽しい。

44 アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた。彼は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。』

アーナンダよ。修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ、あらわに明示されたのに、あなたは洞察することができなくて、『尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人々との利益のために、幸福のために』と修行完成者(ブッダ)に懇請しなかった。

もしもあなたが修行完成者に懇請したならば、修行完成者(ブッダ)はあなたの二度にわたる懇請の言葉を退けたかもしれないが、しかし、三度まで言ったならば、それを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはあなたの罪である。それはあなたの過失である。

45 アーナンダよ。かつてある時、わたしはヴァイシャリにおいてウデーナ霊樹のもとにとどまっていた。アーナンダよ。そこでもわたしはあなたに次のように言った。
アーナンダよ。ヴァイシャリは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。

アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた。彼は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。』

アーナンダよ。修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ、あらわに明示されたのに、あなたは洞察することができなくて、『尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人々との利益のために、幸福のために』と修行完成者(ブッダ)に懇請しなかった。

もしもあなたが修行完成者に懇請したならば、修行完成者(ブッダ)はあなたの二度にわたる懇請の言葉を退けたかもしれないが、しかし、三度まで言ったならば、それを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはあなたの罪である。それはあなたの過失である。

46 アーナンダよ。かつてある時、わたしはヴァイシャリ市においてゴータマカ霊樹のもとに住していた。・・・乃至・・・このヴァイシャリにおいてサッタンバ霊樹のもとに住していた。・・・乃至・・・このヴァイシャリにおいてバフプッタ霊樹のもとに住していた。・・・乃至・・・このヴァイシャリにおいてサーランダダ霊樹のもとに住していた。

47 アーナンダよ。私は今日、チャーパーラ霊樹のもとにあってあなたに言った。

アーナンダよ。ヴァイシャリ市は楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい。

アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、軛(くびき)を結び付けられた車のように修し、家の礎(いしずえ)のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、見事に成し遂げた。彼は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い間でも留まることが出来るであろう。』

アーナンダよ。修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ、あらわに明示されたのに、あなたは洞察することができなくて、『尊師はどうか寿命のある限りこの世にとどまって下さい。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人々との利益のために、幸福のために』と修行完成者(ブッダ)に懇請しなかった。

もしもあなたが修行完成者に懇請したならば、修行完成者(ブッダ)はあなたの二度にわたる懇請の言葉を退けたかもしれないが、しかし、三度まで言ったならば、それを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはあなたの罪である。それはあなたの過失である。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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