【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻14

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 光明師(善導)の云わく(般舟讃)、「唯恨むらくは、衆生の、疑うまじきを疑うことを。浄土、対面して相忤わず。弥陀の摂と不摂を論ずること莫かれ。意、専心にして回すると回せざるとに在り。乃至 或いは道わく、今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃じて慈恩を報ぜんと。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、何れの時、何れの劫にか娑婆を出でんと。乃至 何んが今日、宝国に至ることを期せん。実に是れ娑婆本師の力なり。若し本師知識の勧に非ずは、弥陀の浄土、云何してか入らん」と。

 又云わく(往生礼讃)、「仏世、甚だ値い難し。人、信慧有ること難し。遇たま希有の法を聞くこと、斯れ復た最も難しとす。自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更た難し。大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る」と。

 又云わく(往生礼讃)、「弥陀の身色は金山の如し。相好の光明は十方を照らす。唯、念仏する有りて光摂を蒙る。当に知るべし。本願、最も強しとす。十方の如来、舌を舒べて証したまう。専ら名号を称して西方に至る。彼の華台に到りて妙法を聞く。十地の願行、自然に彰る」と。

 又云わく(観念法門)、「但、阿弥陀仏を専念する衆生有りて、彼の仏心の光、常に是の人を照らして摂護して捨てたまわず。総て余の雑業の行者を照らし摂むと論ぜず。此れ亦是れ現生護念増上縁なり」と。已上

 又云わく(序分義)、「「心歓喜得忍」(観経)と言うは、此れは阿弥陀仏国の清浄の光明、忽ちに眼前に現ぜん、何ぞ踊躍に勝えん。茲の喜に因るが故に、即ち無生の忍を得。亦「喜忍」と名づく。亦「悟忍」と名づく。亦「信忍」と名づく。此れ乃ち玄かに談ずるに、未だ得処を標さず。夫人をして等しく心に此の益を悕わしめんと欲う。勇猛専精にして心に見んと想う時に、方に忍を悟るべし。此れ多く是れ十信の中の忍なり。解行已上の忍には非ざることを明かすなり」と。

 又云わく(散善義)、「「若念仏者」(観経)というより下、「生諸仏家」(同)に至るまで已来は、正しく、念仏三昧の功能超絶して、実に雑善をして比類とすることを得るに非ざることを顕す。即ち其れに五有り。一には弥陀仏の名を専念することを明かす。二には能念の人を指讃することを明かす。三には、若し能く相続して念仏する者、此の人、甚だ希有なりとす。更に物として以て之に方ぶべきこと無きことを明かす。故に芬陀利を引きて喩とす。「分陀利」と言うは、「人中の好華」と名づく。亦「希有華」と名づく。亦「人中の上上華」と名づく。亦「人中の妙好華」と名づく。此の華、相伝えて「蔡華」と名づくる是れなり。若し念仏の者は、即ち是れ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。四には、弥陀名を専念すれば、即ち観音・勢至、常に随いて影護したまうこと、亦親友知識の如くなることを明かすなり。五には、今生に既に此の益を蒙れり。命を捨てて即ち諸仏の家に入らん。即ち浄土是れなり。彼に到りて長時に法を聞き歴事供養せん。因円かに果満ず。道場の座、豈に賖かならんやということを明かす。」已上

 王日休の云わく(龍舒浄土文)、「我、『無量寿経』を聞くに、「衆生、是の仏名を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せんもの、彼の国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す」と。「不退転」は、梵語には之を「阿惟越致」と謂う。『法華経』には、謂わく、弥勒菩薩の所得の報地なり。一念往生、便ち弥勒に同じ。仏語虚しからず。此の『経』は、寔に往生の径術、脱苦の神方なり。皆信受すべし」と。已上

 『大経』に言わく、「仏、弥勒に告げたまわく、「此の世界より、六十七億の不退の菩薩有りて彼の国に往生せん。一一の菩薩は、已に曾、無数の諸仏を供養せりき。次いで弥勒の如し」と。」

 又言わく(如来会)、「仏、弥勒に告げたまわく、「此の仏土の中に七十二億の菩薩有り。彼は無量億那由他百千の仏の所にして、諸の善根を種えて不退転を成ぜるなり。当に彼の国に生ずべし」と。」抄出
 律宗の用欽師の云わく(超玄記)、「至れること、『華厳』の極唱・『法華』の妙談に如かんや。且は未だ普授有ることを見ず。衆生、一生に皆、阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることは、誠に謂う所の不可思議功徳の利なり」と。已上

 真に知りぬ。弥勒大士、等覚金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。故に「便同」(龍舒浄土文)と曰うなり。

 加之ならず、金剛心を獲る者は、則ち韋提と等しく、即ち喜・悟・信の忍を獲得すべし。是れ則ち、往相回向の真心徹到するが故に、不可思議の本誓に藉るが故なり。

 禅宗の智覚、念仏行者を讃じて云わく(楽邦文類)、「奇なるかな。仏力難思なれば、古今も未だ有らず」と。

 律宗の元昭師(元照)の云わく(楽邦文類)、「鳴呼、教観に明らかなること、熟か智者(智顗)に如かんや。終に臨みて『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きんき。法界に達せること、熟か杜順に如かんや。四衆を勧め、仏陀を念じて勝相を感じて西に邁きき。禅に参わり性を見ること、熟か高玉・智覚に如かんや。皆、社を結び仏を念じて、倶に上品に登りき。業儒、才有る、熟か劉(劉程子)・雷(雷次宗)・柳子厚・白楽天に如かんや。然るに皆、筆を秉り誠を書して彼の土に生まれんと願じき」と。已上

(「信巻」続く)

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