【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻15

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 「仮」と言うは、即ち是れ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。

 故に光明師(善導)の云わく(般舟讃)、「仏教多門にして八万四なり。正しく、衆生の機、不同なるが為なり」と。
 又云わく(法事讃)、「方便の仮門、等しくして殊無し」と。
 又云わく(般舟讃)、「門門不同なるを「漸教」と名づく。万劫苦行して無生を証す」と。已上

 「偽」と言うは、則ち六十二見、九十五種の邪道、是れなり。

 『涅槃経』(大衆所問品)に言わく、「世尊、常に説きたまわく、「一切の外は九十五種を学びて、皆、悪道に趣く」と。」已上
 光明師(善導)の云わく(法事讃)、「九十五種、皆、世を汚す。唯仏の一道、独り清閑なり」と。已上

 誠に知りぬ、悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まざることを、恥ずべし、傷むべしと。

 夫れ、仏、難治の機を説きて、『涅槃経』(現病品)に言わく、「迦葉。世に三人有り、其の病、治し難し。一には謗大乗、二には五逆罪、三には一闡提なり。是くの如きの三病、世の中に極重なり。悉く声聞・縁覚・菩薩の、能く治する所に非ず。善男子。譬えば、病有れば必ず死するに治無からんに、若し瞻病・随意の医薬有らんが如し。若し瞻病・随意の医薬無からん。是くの如きの病、定んで治すべからず。当に知るべし、是の人、必ず死せんこと疑わずと。善男子。是の三種の人、亦復是くの如し。仏・菩薩に従いて聞治を得已りて、即便ち能く阿耨多羅三藐三菩提心を発せん。若し声聞・縁覚・菩薩有りて、或いは法を説き、或いは法を説かざる有らん。其れをして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむること能わず」と。已上

 又言わく(梵行品)、「爾の時に王舎大城に阿闍世王あり。其の性弊悪にして、善く殺戮を行ず。口の四悪・貪・恚・愚痴を具して、其の心熾盛なり。乃至 而るに眷属の為に現世の五欲の楽に貪著するが故に、父の王、辜無きに横に逆害を加す。父を害するに因りて、己が心に悔熱を生ず。乃至 心、悔熱するが故に遍体に瘡を生ず。其の瘡、臭穢にして附近すべからず。尋ち自ら念言すらく、「我今、此の身に已に華報を受けたり。地獄の果報、将に近づきて遠からずとす。」

 爾の時に、其の母韋提希后、種種の薬を以て、為に之を塗る。其の瘡、遂に増すれども降損有ること無し。王即ち母に白さく、「是くの如きの瘡は心よりして生ぜり。四大より起これるに非ず。若し衆生、能く治すること有りと言わば、是の処有ること無けん。」

 時に大臣有り、「日月称」と名づく。王の所に往至して、一面に在りて立ちて白して言さく、「大王。何が故ぞ愁悴して顔容悦ばざる。身痛とやせん、心痛とやせん」と。

 王、臣に答えて言わまく、「我今、身心、豈に痛まざることを得んや。我が父、辜無きに横に逆害を加す。我、智者に従いて、曾て是の義を聞きき。「世に五人有り、地獄を脱れず」と。謂わく、五逆罪なり。我、今已に無量無辺阿僧祇の罪有り。云何ぞ身心をして痛まざることを得ん。又、良医の我が身心を治せんもの無けん」と。

 臣、大王に言さく、「大きに愁苦すること莫かれ」と。即ち偈を説きて言さく、

若し常に愁苦せば、愁、遂に増長せん。人、眠を喜めば、眠則ち滋く多きが如し。
婬を貪し酒を嗜むも、亦復是くの如しと。

「王の言う所の如し、「世に五人有り、地獄を脱れず」とは、誰か往きて之を見て、来たりて王に語るや。「地獄」と言うは、直ちに是れ世間に多く智者説かく。王の言う所の如し、「世に良医の身心を治する者無けん。」今大医有り、「富闌那」と名づく。一切知見して自在を得て、定んで畢竟じて清浄梵行を修習して、常に無量無辺の衆生の為に無上涅槃の道を演説す。諸の弟子の為に是くの如きの法を説けり。「黒業有ること無ければ、黒業の報無し。白業有ること無ければ、白業の報無し。黒白業無ければ、黒白の業報無し。上業及以び下業有ること無し」と。是の師、今、王舎城の中に在す。惟願わくは大王、崛駕して彼に往け。是の師、身心を療治せしむべし」と。

 時に王答えて言わまく、「審らかに能く是くの如き我が罪を滅除せば、我、当に帰依すべし」と。

 復た一の臣有り、名づけて「蔵徳」と曰う。復た王の所に往きて是の言を作さく、「大王。何故ぞ面貌憔悴して屑口乾燋し、音声微細なるやと。乃至 何の苦しむ所あってか、身痛とやせん、心痛とやせん」と。

 王、即ち答えて言わく、「我今、身心、云何ぞ痛まざらん。我、痴盲にして慧目有ること無し。諸の悪友に近づきて、為れ善く提婆達多悪人の言に随いて、正法の王に横に逆害を加す。我、昔曾て智人の偈説を聞きき。
若し父母、仏及び弟子に於いて、不善の心を生じ、悪業を起こさん。
是くの如きの果報、阿鼻獄に在りと。
是の事を以ての故に、我、心怖して大苦悩を生ぜしむと。
又、良医の救療を見ること無けん」と。

 大臣、復た言さく、「惟願わくは大王、且く愁怖すること莫かれ。法に二種有り。一には出家、二には王法なり。王法は、謂わく、其の父を害せり、則ち王国土、是れ逆なりと云うと雖も、実に罪有ること無けん。迦羅羅虫の、要ず母の腹を壊りて、然うして後、乃ち生ずるが如し。生の法、是くの如し。母の身を破すと雖も、実に亦罪無し。騾腹懐妊等、亦復是くの如し。治国の法、法として是くの如くなるべし。父兄を殺すと雖も、実に罪有ること無けん。出家の法は、乃至蚊蟻殺する、亦罪有り。乃至 王の言う所の如し、「世に良医の身心を治する者無けん」と。今、大師有り。「末伽梨拘賖梨子」と名づく。一切知見して、衆生を憐愍すること赤子の猶如し。已に煩悩を離れて、能く衆生の三毒の利箭を抜くと。乃至 是の師、今、王舎大城に在す。惟願わくは大王、其の所に往至して、王、若し見ば、衆罪消滅せん」と。

 時に王答えて言わく、「審らかに能く是くの如き我が罪を滅除せば、我、当に帰依すべし」と。

 復た一の臣有り、名づけて「実徳」と曰う。復た王の所に到りて即ち偈を説きて言さく、「大王。何が故ぞ身の瓔珞を脱ぎ、首の髪蓬乱せる。乃至是くの如きなるやと。乃至 是れ心痛とやせん、身痛とやせん。」

 王即ち答えて言わく、「我今、身心、豈に痛まざることを得んや。我が父先王、慈愛仁惻して、特に見て矜念せり。実に辜無きに、往きて相師に問う。相師答えて言わく、「是の児、生まれ已りて、定んで当に父を害すべし」と。是の語を聞くと雖も、猶見て瞻養す。曾、智者の、是くの如きの言を作ししを聞きき。「若し人、通の母と、及び比丘尼を汚し、僧祇物を偸み、無上菩提心を発せる人を殺し、及び其の父を殺せん。是くの如きの人は、必定して当に阿鼻地獄に堕すべし」と。我今、身心、豈に痛まざることを得んや。」

 大臣、復た言さく、「惟願わくは大王、且た愁苦すること莫かれと。乃至 一切衆生、皆、余業有り。業縁を以ての故に、数数生死を受く。若し先生に余業有らしめば、王、今、之を殺せん。竟に何の罪か有らん。惟願わくは、大きに、王、意を寛かにして、愁うること莫かれ。何を以ての故に。若し常に愁苦すれば、愁、遂に増長す。人、眠を喜めば、眠則ち滋く多きが如し。婬を貪し酒を嗜むも、亦復是くの如し。」乃至 「刪闍耶毘羅肱子。」

 復た一の臣有り、「悉知義」と名づく。即ち王の所に至りて是くの如きの言を作さく、乃至

 王、即ち答えて言わまく、「我今、身心、豈に痛無きを得んや。乃至 先王、辜無きに、横に逆害を興ず。我、亦曾て智者説きて言いしを聞きき。「若し父を害すること有れば、当に無量阿僧祇劫に於いて大苦悩を受くべし」と。我今、久しからずして、必ず地獄に堕せん。又、良医の我が罪を救療すること無けん」と。

 大臣、即ち言さく、「惟願わくは大王、愁苦を放捨せよ。王、聞かずや。昔者、王有りき。名づけて「羅摩」と曰いき。其の父を害し已りて王位を紹ぐことを得たりき。跋提大王・毘楼真王・那睺沙王・迦帝迦王・毘舎佉王・月光明王・日光明王・愛王・持多人王、是くの如き等の王、皆、其の父を害して王位を紹ぐことを得たりき。然るに一として王の地獄に入る者無し。於今現在に、毘瑠璃王・優陀邪王・悪性王・鼠王・蓮華王、是くの如き等の王、皆、其の父を害せりき。悉く一として王の愁悩を生ずる者無し。地獄・餓鬼・天中と言うと雖も、誰か見る者有るや。大王。唯、二の有有り。一には人道、二には畜生なり。是の二有りと雖も、因縁生に非ず、因縁死に非ず。若し因縁に非ずは、何者か善悪有らん。惟願わくは大王、愁怖を懐くこと勿れ。何を以ての故に。若し常に愁苦すれば、愁、遂に増長す。人、眠を喜めば、眠則ち滋く多きが如し。婬を貪し酒を嗜むも亦復是くの如し」と。乃至 「阿耆多翅金欽婆羅。」

 復た大臣有り、名づけて「吉徳」と曰う。乃至 「「地獄」と言うは、何の義有りとかせんと。臣、当に之を説くべしと。「地」は地に名づく、「獄」は破に名づく。地獄を破せん、罪報有ること無けん。是れを「地獄」と名づく。又復「地」は人に名づく、「獄」は天に名づく。其の父を害するを以ての故に、人天に到らん。是の義を以ての故に、婆蘇仙人、唱えて言わく、「羊を殺して人天の楽を得く。」是れを「地獄」と名づく。又復「地」は命に名づく、「獄」は長に名づく。彼の寿命の長を殺するを以ての故に「地獄」と名づく。大王。是の故に当に知るべし、実に地獄無けんと。大王。麦を種えて麦を得、稲を種えて稲を得るが如し。地獄を殺しては、還りて地獄を得ん。人を殺害しては、還りて人を得べし。大王。今、当に臣の所説を聴くに、実に殺害無かるべしと。若し有我ならば、実に亦害無し。若し無我ならば、復た害する所無けん。何を以ての故に。若し有我ならば、常に変易無し。常住を以ての故に殺害すべからず。不破・不壊・不繫・不縛・不瞋・不喜は、虚空の猶如し。云何ぞ当に殺害の罪有るべき。若し無我ならば諸法無常なり。無常を以ての故に念念に壊滅す。念念に滅するが故に、殺者・死者、皆、念念に滅す。若し念念に滅せば誰か当に罪有るべきや。大王。火、木を焼くに、火則ち罪無きが如し。斧、樹を斫るに、斧亦罪無きが如し。鎌、草を刈るに、鎌、実に罪無きが如し。刀、人を殺するに、刀、実に人に非ず。刀、既に罪無きが如し。人、云何ぞ罪あらんや。毒、人を殺す。毒、実に人に非ず。毒薬、罪人に非ざるが如し。云何ぞ罪あらんや。一切万物、皆亦是くの如し。実に殺害無けん。云何ぞ罪有らんや。惟願わくは大王、愁苦を生ずること莫かれ。何を以ての故に。若し常に愁苦せば、愁、遂に増長せん。人、眠を喜めば、眠則ち滋く多きが如し。婬を貪し酒を嗜むも、亦復是くの如し。今大師有り、「迦羅鳩駄迦旃延」と名づく。」

 復た一臣有り、「無所畏」と名づく。「今大師有り、「尼乾陀若犍子」と名づく。」乃至

(「信巻」続く)

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