【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」無情説法(むじょうせっぽう)

投稿日:1243年10月2日 更新日:

説法於説法するは、仏祖附嘱於仏祖の見成公案なり。この説法は法説なり。有情にあらず、無情にあらず。有為にあらず、無為にあらず。有為無為の因縁にあらず、従縁起の法にあらず。

しかあれども、鳥道に不行なり、仏衆に為与す。大道十成するとき、説法十成す。法蔵附嘱するとき、説法附嘱す。拈華のとき、拈説法あり。伝衣のとき、伝説法あり。このゆゑに、諸仏諸祖、おなじく威音王以前より説法に奉覲しきたり、諸仏以前より説法に本行しきたれるなり。

説法は仏祖の理しきたるとのみ参学することなかれ。仏祖は説法に理せられきたるなり。この説法、わづかに八万四千門の法蘊を開演するのみにあらず、無量無辺門の説法蘊あり。先仏の説法を後仏は説法すと参学することなかれ。先仏きたりて後仏なるにあらざるがごとく、説法も先説法を後説法とするにはあらず。このゆゑに、

釈迦牟尼仏道、如三世諸仏、説法之儀式、我今亦如是、説無分別法(三世諸仏説法の儀式の如く、我れも今亦た是の如く無分別法を説く)。

しかあればすなはち、諸仏の説法を使用するがごとく、諸仏は説法を使用するなり。諸仏の説法を正伝するがごとく、諸仏は説法を正伝するによりて、古仏より七仏に正伝し、七仏よりいまに正伝して無情説法あり。この無情説法に諸仏あり、諸祖あるなり。我今説法は、正伝にあらざる新条と学することなかれ。古来正伝は旧窠の鬼窟と証することなかれ。

大唐国西京光宅寺大証国師、因僧問、無情還解説法否(無情また説法を解すや否や)。
国師曰、常説熾然、説無間歇(常説熾然、説くに間歇無し)。
僧曰、某甲為甚麼不聞(某甲甚麼と為てか聞かざる)。
国師曰、汝自不聞、不可妨他聞者也(汝自ら聞かざるも、他の聞くを妨ぐべからざる者なり)。
僧曰、未審、什麼人得聞(未審、什麼人か聞くことを得る)。
国師曰、諸聖得聞(諸聖聞くことを得)。
僧曰、和尚還聞否(和尚また聞くや否や)。
国師曰、我不聞(我れ聞かず)。
僧曰、和尚既不聞、争知無情解説法(和尚既に聞かず、争んぞ無情説法を解するを知らんや)。
国師曰、褚我不聞。我若聞則斉於諸聖、汝即不聞我説法(褚ひに我聞かず。我若し聞かば則ち諸聖に斉し、汝即ち我が説法を聞かざらん)。
僧曰、恁麼則衆生無分也(恁麼ならば則ち衆生無分なり)。
国師曰、我為衆生説、不為諸聖説(我れは衆生の為に説く、諸聖の為に説かず)。
僧曰、衆生聞後如何(衆生聞きて後如何)。
国師曰、即非衆生(即ち衆生に非ず)。

無情説法を参学せん初心晩学、この国師の因縁を直須勤学すべし。
常説熾然、説無間歇とあり。常は諸時の一分時なり。説無間歇は、説すでに現出するがごときは、さだめて無間歇なり。無情説法の儀、かならずしも有説のごとくにあらんずると参学すべからず。

有情の音声および有情説法の儀のごとくなるべきがゆゑに、有情界の音声をうばうて、無情界の音声に擬するは仏道にあらず。無情説法かならずしも声塵なるべからず。たとへば、有情の説法それ声塵にあらざるがごとくなり。しばらく、いかなるか有情、いかなるか無情と、問自問他、功夫参学すべし。

しかあれば、無情説法の儀、いかにかあるらんと審細に留心参学すべきなり。愚人おもはくは、樹林の鳴条する、葉花の開落するを無情説法と認ずるは、学仏法の漢にあらず。もししかあらば、たれか無情説法をしらざらん、たれか無情説法をきかざらん。しばらく回光すべし。

無情界には草木樹林ありやなしや、無情界は有情界にまじはれりやいなや。しかあるを、草木瓦礫を認じて無情とするは不遍学なり。無情を認じて草木瓦礫とするは不参飽なり。たとひいま人間の所見の草木等を認じて無情に擬せんとすとも、草木等も凡慮のはかるところにあらず。ゆゑいかんとなれば、天上人間の樹林、はるかに殊異あり、中国辺地の所生ひとしきにあらず。海裏山間の草木、みな不同なり。いはんや空におふる樹木あり、雲におふる樹木あり。

風火等のなかに、所生長の百草万樹、おほよそ有情と学しつべきあり、無情と認ぜられざるあり。草木の人畜のごとくなるあり。有情無情いまだあきらめざるなり。いはんや仙家の樹石花果湯水等、みるに疑著およばずとも、説著せんにかたからざらんや。ただわづかに神州一国の草木をみ、日本一州の草木を慣習して、万方尽界もかくのごとくあるべしと擬議商量することなかれ。

国師道、諸聖得聞。
いはく、無情説法の会下には、諸聖立地聴するなり。諸聖と無情と、聞を現成し、説を現成せしむ。無情すでに諸聖のために説法す。聖なりや、凡なりや。あるいは無情説法の儀をあきらめをはりなば、諸聖の所聞かくのごとくありと体達すべし。すでに体達することをえては、聖者の境界をはかりしるべし。さらに超凡越聖の神通宵路の行履を参学すべし。

国師いはく、我不聞。
この道も容易会なりと擬することなかれ。超凡越聖にして不聞なりや。擘破凡聖窠窟のゆゑに不聞なりや。恁麼功夫して、道取を現成せしむべし。

国師いはく、褚我不聞。我若聞則、斉於諸聖。
この挙似、これ一道両道にあらず。褚我は凡聖にあらず、褚我は仏祖なるべきか。仏祖は超凡越聖するゆゑに、諸聖の所聞には一斉ならざるべし。

国師道の汝即不聞我説法の理道を修理して、諸仏諸聖の菩提を料理すべきなり。その宗旨は、いはゆる無情説法、諸聖得聞。国師説法、這僧得聞なり。この道理を、参学功夫の日深月久とすべし。
しばらく国師に問著すべし、衆生聞後はとはず、衆生正当聞説法時、如何。

高祖洞山悟本大師、参曩祖雲巖大和尚問曰、無情説法什麼人得聞(曩祖雲巖大和尚に参じて問うて曰く、無情説法は什麼人か聞くことを得る)。
雲巖曩祖曰、無情説法、無情得聞(無情説法は無情聞くことを得)。
高祖曰、和尚聞否(和尚聞くや否や)。
曩祖曰、我若聞、汝即不得聞吾説法也(我れ若し聞かば、汝即ち吾が説法を聞くことを得ざらん)。
高祖曰、若恁麼、即某甲不聞和尚説法(若し恁麼ならば、即ち某甲和尚の説法を不聞ならん)。
曩祖曰、我説汝尚不聞、何況無情説法也(我れ説くもら汝なほ聞かず、何に況んや無情の説法をや)。
高祖乃述偈呈曩祖曰(高祖乃ち偈を述して曩祖に呈するに曰く)、
也太奇、也太奇、
無情説法不思議。
若将耳聴終難会、
眼処聞声方得知。
(也太奇、也太奇、無情説法不思議なり。若将耳聴は終難会なり、眼処に聞声して方に知ることを得ん。)

いま高祖道の無情説法什麼人得聞の道理、よく一生多生の功夫を審細にすべし。いはゆるこの問著、さらに道著の功徳を具すべし。この道著の皮肉骨髓あり、以心伝心のみにあらず。以心伝心は初心晩学の弁肯なり。衣を挙して正伝し、法を拈じて正伝する関捩子あり。いまの人、いかでか三秋四月の功夫に究竟することあらん。

高祖かつて大証道の無情説法諸聖得聞の宗旨を見聞せりといへども、いまさらに無情説法什麼人得聞の問著あり。これ肯大証道なりとやせん、不肯大証道なりとやせん。問著なりとやせん、道著なりとやせん。もし縈不肯大証争得恁麼道、もし縈肯大証、争解恁麼道なり。

曩祖雲巖云、無情説法、無情得聞。
この血脈を正伝して、身心脱落の参学あるべし。いはゆる無情説法、無情得聞は、諸仏説法、諸仏得聞の性相なるべし。無情説法を聴取せん衆会、たとひ有情無情なりとも、たとひ凡夫賢聖なりとも、これ無情なるべし。この性相によりて、古今の真偽を批判すべきなり。

たとひ西天より将来すとも、正伝まことの祖師にあらざらんは、もちゐるべからず。たとひ千万年より習学すること聯綿なりとも、嫡々相承にあらずは嗣続しがたし。

いま正伝すでに東土に通達せり、真偽の通塞わきまへやすからん。たとひ衆生聯法、衆生得聞の道取を聴取しても、諸仏諸祖の骨髓を稟受しつべし。雲巖曩祖の道を聞取し、大証国師の道を聴取して、まさに与奪せば、諸聖得聞の道取する諸聖は無情なるべし。無情得聞と道取する無情は諸聖なるべし。無情所説無情なり、無情説法即無情なるがゆゑに。しかあればすなはち、無情説法なり、説法無情なり。

高祖道の若恁麼、則某甲不聞和尚説法也。
いまきくところの若恁麼は、無情説法、無情得聞の宗旨を挙拈するなり。無情説法、無情得聞の道理によりて、某甲不聞、和尚説法也なり。高祖このとき、無情説法の席末を接するのみにあらず、為無情説法の志気あらはれて衝天するなり。ただ無情説法を体達するのみにあらず、情説法の聞不聞を体究せり。すすみて有情説法の説不説、已説今説当説にも体達せしなり。さらに聞不聞の説法の、これは有情なり、これは無説なる道理あきらめをはりぬ。

おほよそ聞法は、ただ耳根耳識の境界のみにあらず、父母未生已前、威音以前、乃至尽未来際、無尽未来際にいたるまでの挙力挙心、挙体挙道をもて聞法するなり。身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり。心識に縁ぜざれば聞法の益あらずといふことなかれ。心滅身没のもの、聞法得益すべし。無心無身のもの、聞法得益すべし。

諸仏諸祖、かならずかくのごとくの時節を経歴して、作仏し、成祖するなり。法力の身心に接する、凡慮いかにしてか覚知しつくさん。身心の際限、みづからあきらめつくすことをえざるなり。聞法功徳の、身心の田地に下種する、くつる時節あらず。つひに生長ときと共にして、果成必然なるものなり。

愚人おもはくは、たとひ聞法おこたらずとも、解路に進歩なく、記持に不敢ならんは、その益あるべからず。人天の身心を挙して、博記多聞ならん、これ至要なるべし。即座に忘記し、退席に茫然とあらん、なにの益かあらんとおもひ、なにの学功かあらんといふは、正師にあはず、その人をみざるゆゑなり。正伝の面授あらざるを、正師にあらずとはいふ。仏々正伝しきたれるは正師なり。愚人のいふ心識に記持せられて、しばらくわすれざるは、聞法の功、いささか心識にも蓋心蓋識する時節なり。

この正当恁麼時は、蓋身蓋身先、蓋心蓋心先、蓋心後、蓋因縁報業相性体力、蓋仏蓋祖、蓋自他、蓋皮肉骨髓等の功徳あり。蓋言説、蓋坐臥等の功徳現成して、弥綸弥天なるなり。

まことにかくのごとくある聞法の功徳、たやすくしるべきにあらざれども、仏祖の大会に会して、皮肉骨髓を参究せん、説法の功力ひかざる時節あらず、聞法の法力かうぶらしめざるところあるべからず。かくのごとくして時節劫波を頓漸ならしめて、結果の現成をみるなり。かの多聞博記も、あながちになげすつべきにあらざれども、その一隅をのみ要機とするにはあらざるなり。参学これをしるべし、高祖これを体達せしなり。

曩祖道、我説法汝尚不聞、何況無情説法也。
これは高祖たちまちに証上になほ証契を証しもてゆく現成を、曩祖ちなみに開襟して、父祖の骨髓を印証するなり。

なんぢなほ我説に不聞なり、これ凡流の然にあらず。無情説法たとひ万端なりとも、為慮あるべからずと証明するなり。このときの嗣続、まことに秘要なり。凡聖の境界、たやすくおよびうかがふべきにあらず。

高祖時に偈を理して雲巖曩祖に呈するにいはく、無情説法不思議は、也太奇、也太奇なり。

しかあれば、無情および無情説法、ともに思議すべきことかたし。いはくの無情、なにものなりとかせん。凡聖にあらず、情無情にあらずと参学すべし。凡聖、情無情は、説不説、ともに思議の境界およびぬべし。いま不思議にして太奇なり、また太奇ならん凡夫賢聖の智慧心識、およぶべからず。天衆人間の籌量にかかはるにあらざるべし。

若将耳聴終難会は、たとひ天耳なりとも、たとひ弥界弥時の法耳なりとも、将耳聴を擬するには、終難会なり。壁上耳、棒頭耳ありとも、無情説法を会すべからず。声塵にあらざるがゆゑに。若将耳聴はなきにあらず、百千功夫をつひやすとも、終難会なり。すでに声色のほかの一道の威儀なり、凡聖のほとりの窠窟にあらず。

眼処聞声方得知。
この道取を、箇々おもはくは、いま人眼の所見する草木花鳥の往来を、眼処の聞声といふならんとおもふ。この見処は、さらにあやまりぬ。またく仏法にあらず。仏法はかくのごとくいふ道理なし。

高祖道の眼処聞声の参学するには、聞無情説法声のところ、これ眼処なり。現無情説法声のところ、これ眼処なり。眼処さらにひろく参究すべし。眼処の聞声は耳処の聞声にひとしかるべきがゆゑに、眼処の聞声は耳処の聞声にひとしからざるなり。眼処に耳根ありと参学すべからず。眼即耳と参学すべからず。眼裏声現と参学すべからず。

古云、尽十方界是沙門一隻眼。
この眼処に聞声せば、高祖道の眼処聞声ならんと擬議商量すべからず。たとひ古人道の尽十方界一隻眼の道を学すとも、尽十方はこれ壹隻眼なり。さらに千手頭眼あり、千正法眼あり。千耳眼あり、千舌頭眼あり。千心頭眼あり。千通心眼あり、千通身眼あり。千棒頭眼あり、千身先眼あり、千心先眼あり。千死中死眼あり、千活中活眼あり。千自眼あり、千他眼あり。千眼頭眼あり、千参学眼あり。千豎眼あり、千横眼あり。

しかあれば、尽眼を尽界と学すとも、なほ眼処に体究あらず。ただ聞無情説法を眼処に参究せんことを急務すべし。いま高祖道の宗旨は、耳処は無情説法に難会なり。眼処は聞声す。さらに通身処の聞声あり、遍身処の聞声あり。たとひ眼処聞声を体究せずとも、無情説法、無情得聞を体達すべし、脱落すべし。この道理つたはれるゆゑに、

先師天童古仏道、胡蘆藤種纏胡蘆。
これ曩祖の正眼のつたはれ、骨髓のつたはれる説法無情なり。一切説法無情なる道理によりて無情説法なり、いはゆる典故なり。無情は為無情説法なり、喚什麼作無情。しるべし、聴無情説法者是なり。喚什麼作説法。しるべし、不知吾無情者是なり。

舒州投子山慈済大師[嗣翠微無学禅師、諱大同。明覚云、投子古仏](舒州投子山慈済大師[翠微無学禅師に嗣す、諱は大同。明覚云く、投子古仏])、因僧問、如何是無情説法(如何にあらんか是れ無情説法)。
師曰、莫悪口(悪口すること莫れ)。
いまこの投子の道取するところ、まさしくこれ古仏の法謨なり、祖宗の治象なり。無情説法ならびに説法無情等、おほよそ莫悪口なり。しるべし、無情説法は、仏祖の總章これなり。臨済徳山のともがらしるべからず、ひとり仏祖なるのみ参究す。

正法眼蔵無情説法第四十六

爾時寛元元年癸卯十月二日在越州吉田県吉峰古寺示衆
同癸卯十月十五日書写之 懐奘

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