「 栄西禅師 」 一覧
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『正法眼蔵随聞記』12、道者の用心
1235/06/12 -仏教を本気で学ぶ
04月17日, と, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット示して云く、道者の用心、常の人に殊なる事あり。 故建仁寺の僧正在世の時、寺絶食す。ある時一人の檀那請じて絹一疋施す。僧正悦びて自ら取って懐中して、人にも持たせずして、寺に返って知事に与へて云く、「明旦 ...
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『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月06日, せ, どんな言葉で話せばいいか, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会婬色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心をも遊戲し、徒然も慰むと云うとも、僧はもっとも禁断すべき事なり。俗なおよ ...
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『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月16日, お釈迦様(ブッダ), こ, ただ一つの事に向き合う, どんな言葉で話せばいいか, 中国の寺院の様子, 余計なものを貯えずに生きる, 宏智正覚, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記, 興聖寺-京都府宇治市夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめら ...
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『正法眼蔵随聞記』77、三覆して後に云え
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月20日, さ, どんな言葉で話せばいいか, 何を基準に物事を見ているか, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記示して云く、「三覆して後に云え。」と云う心は、おおよそ物を云わんとする時も、事を行わんとする時も、必ず三覆して後に言い行うべし。先儒多くは三たび思いかえりみるに、三たびながら善ならば云い行なえと云うな ...
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『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月12日, こ, 仏祖になった人の生き方, 他人の評価を気にするのはやめよう, 余計なものを貯えずに生きる, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記, 祇園精舎, 頼みごとをされた場合の対処方法示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。 その時、房中に都て衣食財物等無りき。思 ...
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『正法眼蔵随聞記』40、故建仁寺僧正の伝をば
夜話に云く、故建仁寺僧正の伝をば顕兼の中納言入道書いたるなり。その時辞する言に云く、「儒者に書かせらるべきなり。その故は、儒者はもとより身を忘れて、幼きより長るまで学問を本とす。故に書いたるものに誤り ...
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『正法眼蔵随聞記』89、学人、人の施を受けて悦ぶ事なかれ
示して云く、学人、人の施を受けて悦ぶ事なかれ。また受けざる事なかれ。 故僧正の云く、「人の供養を得て悦ぶは制にたがう。悦ばざるは檀那の心にたがう。」と。 この故実は、我れに供養ずるにあらず、三宝に供ず ...
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栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)
1215/07/05 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
04月20日, 06月05日, 1215年, え, よ, 布薩, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 臨済宗の出来事, 鎌倉時代, (命日)06月05日, (生誕)04月20日栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習 ...
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栄西禅師、東大寺勧進職に
建永元(1206)年には、重源の後を受けて栄西禅師が東大寺勧進職に就任。 << 戻る
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建仁寺派(本山建仁寺(京都))の開派
建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。 << 戻る
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栄西禅師、北条政子建立の寿福寺住持に
鎌倉に出向き将軍源頼家の庇護のもと正治2(1200)年、北条政子建立の寿福寺住持に請ぜられる。 << 戻る
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興禅護国論
建久9(1198)年、栄西禅師により「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」が著されました。 << 戻る
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日本で初めてとなる禅宗道場・聖福寺開山
建久6(1195)年、日本で初めてとなる禅宗道場として博多の聖福寺(しょうふくじ)が栄西禅師によって開かれる。 << 戻る
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禅宗停止の宣旨
建久5(1194)年、延暦寺、興福寺の訴えにより朝廷から禅宗停止の宣旨が下されるなど、栄西禅師の都での禅の布教は困難を極めた。 << 戻る
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栄西禅師再び南宋に留学
建久2(1191)年に栄西禅師が宋から帰国し、臨済宗黄龍派の禅を伝える。 << 戻る
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栄西禅師再び南宋に留学
文治3(1187)年、再び南宋に入り、更にインドへの巡蹟を目指すも許可されず、天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで臨済宗黄龍派の禅を修行し、その法の印可を受け継いで建久2(1191)年に帰 ...
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栄西禅師南宋に留学
比叡山を下りた後、仁安3(1168)年4月、南宋に留学し、天台山万年寺などを訪れ、9月に帰国し『天台章疎』60巻を将来しました。 << 戻る
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栄西禅師の得度
仁平3(1153)年、13歳で比叡山延暦寺に登り、久寿元(1154)年に得度し天台教学と密教を修学します。 << 戻る
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栄西禅師の誕生
永治元(1141)年4月20日、明庵栄西禅師(みんなんようさいぜんじ)は備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳で地元安養寺の静心和尚(じょうしんおしょう)に師事 ...
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金山寺-岡山県岡山市北区
・金山寺 天台宗 岡山県岡山市北区金山寺481 金山寺は報恩大師が749年に開いた岡山県を代表する古刹です。岡山市の真北に位置し、広く人々の信仰を集める聖地です。鎌倉時代には栄西を輩出し、焼討後の再建 ...