【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第2 小なる章】2、なまぐさ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しい仕方で得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。

240 よく炊かれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓って食べる人は、なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉と共に米飯を味わって食べながら、しかも「わたしはなまぐさものを許さない」と称している。カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言うなまぐさとはどんなものですか。」

242 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

243 この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の邪悪な生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

244 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、物惜しみする性で、なんびとにも与えない人々、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

247 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえって彼らを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

248 これら生ける者どもに対して貪り求め、敵対して殺し、常に害を為すことにつとめる人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる、これがなまぐさである。肉食することがなまぐさいのではない。

249 魚肉・獣肉を食わないことも、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮を着ることも、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、ヴェーダの呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることが出来ない。

250 通路(六つの機官/眼、耳、鼻、舌、身、意)を守り、機官に打ち勝って行動せよ。理法の内に安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」

251 以上の事柄を尊き師(カッサパ仏)は繰り返し説きたもうた。ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン/ティッサ)はそれを知った。なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追い難い聖者(カッサパ仏)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。

252 目ざめた人(カッサパ仏)のみごとに説きたもうた、なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る言葉を聞いて、そのバラモンは謙虚な心で、全き人(カッサパ仏)を礼拝し、即座に出家することをねがった。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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