『典座教訓』4、心を他のことに移さない

投稿日:2023年8月13日 更新日:

上古有道の高士、自ら手ずから精しく至り、之を修することこの如し。後来の晩進、之を怠慢すべけんか。先来云ふ、「典座は絆を以て道心となす」と。米砂誤って淘り去ること有るが如きは、自ら手ずから検点せよ。『清規』に云く、「造食の時、すべからく親しく自ら照顧して、自然に精潔なるべし」と。其の淘米の白水を取って、また虚く棄てざれ。古来は漉白水嚢を置いて、粥米水を弁ず。鍋に納れ了って心を留め護持して、老鼠等をして触誤し、並に諸色の閑人に見触せしむること莫れ。粥時の菜を調え、次に今日斎時用ゆる所の飯羮等を打併して、盤桶並に什物調度し、精誠浄潔に洗灌し、彼此高処に安ずべきは高処に安じ、低処に安ずべきは低処に安ぜよ。高処は高平に、低処は低平に。

梜杓等の類、一切の物色、一等に打併して、真心に物を鑑し、軽手に取放し、然して後に明日の斎料を理会し、先ず米裏に蟲有らんを択べ。緑豆糠塵、砂石等、精誠に択び了れ。米を択び菜を択ぶ等の時、行者諷経して竈公に回向し、次に菜羮を択び、物料調弁せよ。庫司に隨って打得する所の物料は、多少を論ぜず、麁細を管せず、唯是れ精誠に弁備するのみ。切に忌む色を作し口に料物の多少を説くことを。竟日通夜、物来って心に在り、心帰して物に在らしめ、一等に佗と精勤弁道す。三更以前に、明曉の事を管し、三更以来に做粥の事を管す。当日の粥了りて、鍋を洗い飯を蒸し羮を調う。斎米を浸すが如きは、典座水架の辺を離るること莫れ。明眼に親しく見て一粒を費さざれ。

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1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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