【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし

投稿日:1237年8月13日 更新日:

にょほうにとうたし、くわにいれて
如法に洮汰し、鍋に納れて

ひをたきはんをむす。いにしえにいわく、
火を燒き飯を蒸す。古に云く

「はんをむすくわじゅうをじじゅうとなし
「飯を蒸す鍋頭を自頭となし

こめをゆりてみずはこれ
米を淘りて水は是れ

しんめいなりとしる」と。
身命なりと知る」と。

むしおわるはんはすなわちはんらりに
蒸し了る飯は便ち飯籮裏に

おさめ、すなわちはんおけにおさめて、
収め、乃ち飯桶に収めて、

たいばんのうえにあんぜよ。
抬槃の上に安ぜよ。

さいこうとうをちょうべんすること、まさ
菜羮等を調弁すること、応

にはんをむすじせつにあたるべし。
に飯を蒸す時節に当るべし。

てんぞしたしくはんこうをみて、
典座親しく飯羮を見て、

ちょうべんしょざいし、
調弁処在し、

あるいはぎょうじゃをつかい、
あるいは行者を使い、

あるいはぬすをつかい、
あるいは奴子を使い、

あるいはかこをつかって、
あるいは火客を使って、

じゅうもつをととのえしめよ。
什物を調えしめよ。

きんらいだいじいんに、
近来大寺院に、

はんじゅうこうじゅうあり。しかあれども
飯頭羮頭有り。然あれども

これてんぞのしょしなり。
是れ典座の所使なり。

こじははんこうじゅうとうなし。
古時は飯羮頭等無し。

てんぞいっかんす。
典座一管す。

およそぶっしょくをちょうべんするに、
凡そ物色を調弁するに、

ぼんがんをもってみることなかれ、
凡眼を以て観ること莫れ、

ぼんじょうをもっておもうことなかれ。
凡情を以て念うこと莫れ。

いっきょうそうをねんじて、
一茎艸を拈じて、

ほうおうせつをたて、いちみじんに
宝王刹を建て、一微塵に

はいってだいほうりんをてんぜよ。
入って大法輪を転ぜよ。

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