『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし

投稿日:2023年8月13日 更新日:

如法に洮汰し、鍋に納れて火を燒き飯を蒸す。古に云く、「飯を蒸す鍋頭を自頭となし、米を淘りて水は是れ身命なりと知る」と。蒸し了る飯は便ち飯籮裏に収め、乃ち飯桶に収めて、抬槃の上に安ぜよ。菜羮等を調弁すること、応に飯を蒸す時節に当るべし。典座親しく飯羮を見て、調弁処在し、あるいは行者を使い、あるいは奴子を使い、あるいは火客を使って、什物を調えしめよ。

近来大寺院に、飯頭羮頭有り。然あれども是れ典座の所使なり。古時は飯羮頭等無し。典座一管す。凡そ物色を調弁するに、凡眼を以て観ること莫れ、凡情を以て念うこと莫れ。一茎艸を拈じて、宝王刹を建て、一微塵に入って大法輪を転ぜよ。

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※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるための功夫をしています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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