【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』6、よし悪しの隔てなく授かる心

投稿日:1237年8月13日 更新日:

いわゆるたとい
いわゆる縦い

ふさいこうふさいこうをつくるときも、
莆菜羮を作る時も、

けんおきょうこつのこころをしょうずべ
嫌厭軽忽の心を生ずべ

からず。たといづにゅうこうをつくる
からず。縦い頭乳羮を作る

ときも、きやくかんえつ のこころを
時も、喜躍歓悦の心を

しょうずべからず。
生ずべからず。

すでにたんぢゃくなし、
既に耽著無し、

なんぞおいあらん。
何ぞ悪意有らん。

しかればすなわち、そにむかうといえども
然れば則ち、麁に向うと雖も

まったくたいまんなく、さいにあうと
全く怠慢無く、細に逢うと

いえどもいよいよしょうじんあるべし。
雖も弥精進有るべし。

せつにものおうて
切に物を遂うて

こころをへんずることなかれ。
心を変ずること莫れ。

ものをおうてこころをへんじ、
物を遂うて心を変じ、

ひとにしたがってことばをあらたむるは、
人に順って詞を改むるは、

これどうにんにあらざるなり。
是れ道人にあらざるなり。

こころざしをはげましてしいしんならば、
志を励まして至心ならば、

こいねがわくはじょうけつなること
庶幾くは浄潔なること

こじんにすぐれ、
古人に勝れ、

しんさいなることせんろうにこえん。
審細なること先老に超えん。

そのうんしんどういうのていたらくは、
其の運心道用の体為らくは、

こせんはたといさんせんをえてふさいこう
古先は縦い三銭を得て莆菜羮

をつくるも、いまわれおなじく
を作るも、今吾れ同じく

さんせんをえるときは
三銭を得るときは

とうにゅうこうをつくらんと。
頭乳羮を作らんと。

このことなしがたしためなり。
この事為し難為なり。

ゆえはいかん、いまこしゅことにして
所以は何ん、今古殊異にして

てんちけんきゃくす、あにかたをひとしう
天地懸隔す、豈に肩を斉う

するをえるものならんや。
するを得る者ならん哉。

しかあれどもしんさいべんこうのときは、
然あれども審細弁肎の時は、

こせんをあしするのことわり、
古先を下視するの理、

さだんでこれあり。
定んで之れ有り。

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