いわゆる縦い莆菜羮を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。縦い頭乳羮を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。既に耽著無し、何ぞ悪意有らん。然れば則ち、麁に向うと雖も全く怠慢無く、細に逢うと雖も弥精進有るべし。切に物を遂うて心を変ずること莫れ。物を心を変じ、人に順って詞を改むるは、是れ道人にあらざるなり。志を励まして至心ならば、庶幾くは浄潔なること古人に勝れ、審細なること先老に超えん。其の運心道用の体為らくは、古先は縦い三銭を得て莆菜羮を作るも、今吾れ同じく三銭を得るときは頭乳羮を作らんと。この事為し難し。所以は何ん、今古殊異にして、天地懸隔す、豈に肩を斉うするを得る者ならん哉。然あれども審細弁肎の時は、古先を下視するの理、定んで之れ有り。
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1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし
6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない
11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事
16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない
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