【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第2 小なる章】14、ダンミカ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 わたくしが聞いたところによると、あるとき尊き師ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、ダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者と共にのおられるところに近づいた。そしてに挨拶し、かたわらに坐った。そこで在俗信者ダンミカに向かって詩を以て呼びかけた。

376 「智慧豊かなゴータマブッダ)さま。わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は、家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと、どのように行うのが善いのですか?

377 実にあなたは神々とこの世の人々の帰趣(行きつく先)と究極の目的とを知っておられます。奥深い事柄を見る方で、あなたに比ぶ人はいません。世人はあなたを、優れた目ざめた人(ブッダ) だと呼んでいます。

378 あなたはすっかり証り終わって、生ける者どもをあわれんで、智識と理法を説かれます。あまねく見る人よ。あなたは世の覆いを開き、汚れなくして、ひろく全世界に輝きたもう(なんびとに対しても教えを説き、隠すことをしない)。

379 エーラーヴァナと名づける象王は、あなたが勝利者(ブッダ)であると聞いたので、あなたのもとに来ました。彼もまたあなたと相談して、あなたの話を聞いて、『いいなあ』と言って、喜んで去りました。

380 毘沙門天王であるクヴェーラも、また教えを請おうとして、あなたに近づいてきました。賢者よ。彼に尋ねられた時にも、あなたは話をなさいました。彼もまたあなたの話を聞いて、喜んだ姿を示しました。

381 アージーヴィカ教徒であろうとも、ジャイナ教徒であろうとも、論争を習いとするこれらのいかなる異説の徒でも、全て、智慧であなたを超えることは出来ません。立ったままでいる人が急いで走ってゆく人を追い越すことが出来ないようなものです。

382 論争を習いとするいかなるバラモンでも、老年であろうとも、あるいは中年、あるしは青年のバラモンであろうとも、またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも、全てあなたからためになる事柄を得ようと望んでいるのです。

383 先生!あなたがみごとに説きたもうたこの教えは優美であり、また楽しいものです。あなたにお尋ねしますが、どうぞ我らにお説きください。最高の目ざめた方(ブッダ)よ。

384 これらの出家修行者たち、並びに在俗信者たちは、全て、目ざめた人の教えを聞こうとして、ここに集まってきたのです。けがれなき人(目ざめた人)が悟り、みごとに説いた理法を聞け。神々がインドラ神の言葉を聞くように。」

385 は答えた、「修行者たちよ、我に聞け。煩悩を除き去る修行法をあなたたちに説いて聞かせよう。あなたたち全てはそれを持て。目的を目指す思慮ある人は、出家に相応しいその振る舞いを習い行え。

386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。定められたとき(午前中)に、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。それ故に諸々の目ざめた人々は時ならぬのに出て歩くことはない。

387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは、人々をすっかり酔わせるものである。これらのものに対する欲望を慎んで、定められた時に、朝食を得るために村に入れよ。

388 そうして修行僧は、定められた時に施しの食物を得たならば、ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、心を外に放ってはならぬ。

389 もしも彼が、教えを聞く人、あるいは他の修行者と共に語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。陰口や他の誹謗する言葉を発してはならぬ。

390 実にある人々は誹謗の言葉に反発する。彼らは浅はかな小賢しい人々を我は称賛しない。論争の執著があちこちから生じて、彼らを束縛し、彼らはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

391 智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は、幸せな人(ブッダ) の説きたもうた法を聞いて、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水とを、よく気を付けて用いよ。

392 それ故に、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水、これらのものに対して、修行者は執著して汚れることがない。蓮の葉に宿る水滴が汚されないようなものである。

393 次に在家の者の行うつとめをあなたたちに語ろう。このように実行する人は善い教えを聞く人(仏弟子)である。純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)がこれを達成するのは実に容易ではない。

394 生きものをみずから殺してはならぬ。また他人をして殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、全ての生きものに対する暴力を抑えて。

395 次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取ることを避けよ。また他人をして取らせることなく、他人が取りさるのを認めるな。なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。

396 物事の解った人は婬行を回避せよ。
燃えさかる炭火の坑を回避するように。
もし不婬を修することができなければ、
少なくとも他人の妻を犯してはならぬ。

397 会堂にいても、団体の内にいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
全て虚偽を語ることを避けよ。

398 また飲酒を行ってはならぬ。
この不飲酒の教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って。

399 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、
また他人の人々をして怠惰ならしめ、悪事をなさせる。
この禍いの起るもとを回避せよ。
それは愚人の愛好するところであるが、しかし人を狂酔せしめ迷わせるものである。

400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

401 (7)花かざりを着けてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に床を敷いて隠れるべし。これこそ実に八つの項目より成るウポーサタ(斎戒)であるという。
苦しみを修滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。

402 そうしてそれぞれ半月の第八日、第十四日、第十五日にウポーサタを修せよ。八つの項目より成る完全なウポーサタを、清く澄んだ心で行え。また特別の月においてもまた同じ。

403 ウポーサタを行なった物事の解った人は次に、清く澄んだ心で喜びながら、翌朝早く食物とを適宜に修行僧の集いに分かち与えよ。

404 正しい法に従って得た財を以て母と父とを養え。(武器の売買、生きものの売買、肉の売買、酒の売買、毒の売買を除いた)正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、死後にみずから光を放つという名の神々のもとに赴く。」

<小なる章>第2おわる

この章のまとめの句
 宝となまぐさと、恥と、こよなき幸せと、スーチローマと理法にかなった行いと、バラモンに相応しいことと、船の経と、いかなる戒めを、と、精励と、ラーフラと、ヴァンギーサと正しい遍歴と、さらにダンミカと
 これらの十四の経が「小なる章」と言われる。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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