【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、そのを修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云う。政道天意に叶う時、世清み民康すきなり。故に帝は三更の三点におさせ給うて、治世する時としませり。たやすからざる事、ただ職のかわり、の殊なるばかりなり。国王は自思量を以て政道を計らい、先規をかんがえ、有道の臣を求めて、政天意に相合する時、是れを治世と云うなり。もし是れを怠れば天に背き世を乱し、民を苦しむるなり。それより以下、諸候大夫人士庶民、皆各所官のあり。それに随うを人と云うなり。それに背く、天を乱す事を為して天之刑を蒙るなり。

然れば、学人も世を離れ家を出ればとて、徒らに身をやすくせんと思う事、暫くもあるべからず。利あるに似て後大害有るなり。出家人の法は、またその職を収め、そのを修すべきなり。

世間の治世は先規有道を嗜み求むれども、なお先達知識の確かに相伝したるなければ、自らし、たがうる事もあるなり。仏子はたしかなる先規教文顕然なり。また相承伝来の知識現在せり。我れに思量あり。四威儀の中において一々に先規を思い、先達にしたがい修行せんに、必ず道を得べきなり。俗は天意に合せんと思い、衲子は仏意に合せんと修す。等しくして得果勝れたり。一得永得、大安楽の為に、一世幻化の身を苦しめて仏意に随わんは、行者の志に在るべし。

然りと雖も、またすぞろに身を苦しめ、為すべからざる事をなせと仏教には勧むる事なきなり。戒行律儀に随いゆけば、自然に身安く行儀も尋常に、人目も安きなり。ただ、今案の我見の安立を捨てて、一向仏制に順うべきなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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