【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめられければ、是れ第一の美言と覚ゆるなり。

また大宋宏智禅師の会下、天童は常住物千人の用途なり。然れば、堂中七百人、堂外三百人にて千人につもる常住物なるによりて、長老の住したる間、諸方の僧雲集して堂中千人なり。その外五、六百人ある間、知事、宏智に訴え申すに云く、「常住物は千人の分なり。衆僧多く集まって用途不足なり。まげてはなたれん。」と申ししかば、宏智云く、「人々皆口あり。汝が事に干らず、歎く事なかれ」云々。

今これを思うに、人皆生得の衣食あり。思うによりても出来らず、求めずとも来らざるにあらず。在家人すらなお運に任せて忠を思い孝を学ぶ。いかに況んや出家人は全て他事を管ぜず。釈尊遺付の福分あり、諸天応供の衣食あり、また天然生得の命分あり。求め思わずとも、任運としてあるべき命分なり。たとひ走り求めて財をもちたりとも、無常忽に来らん時如何。故に学人はただよろしく余事に心を留めず、一向に道を学すべきなり。

またある人云く、「末世辺土の仏法興隆は、衣食等の外護の外ににわずらいなくて修行せば、それに付いて有相著我の諸人集まり学せんほどに、その中にもし一人の発心の人も出来るべし。故に閑居静処を構え、衣食具して仏法修行せば利益も弘かるべし。」と。

今は思うに然らず。たとひ千万人、利益につき財欲にふけりて聚ったらん、一人なからんになおとるべき。悪道の業因の自ら積みて仏法の気分なき故なり。清貧艱難にしてあるいは乞食し、あるいは果蓏等を食して、恒に飢饉して学道せば、是れを聞いてもし一人も来り学せんと思う人あらんこそ実の道心者、仏法の興隆ならめと覚ゆる。艱難清貧によりて一人もなからんと、衣食ゆたかにして諸人聚まって仏法のなからんと、ただ八両と半斤となり。

また云く、当世の人、多く造像起塔等の事を仏法興隆と思えり。また非なり。たとひ高堂大観玉を磨いて金をのべたりとも、是れに因って得道の者あるべからず。ただ在家人の財宝を仏界に入れて善事をなす福分なり。小因大果を感ずる事あれども、僧徒のこの事を営むは仏法興隆にはあらざるなり。ただ草庵樹下にても、法門の一句をも思量し、一時の坐禅をも行ぜんこそ、実の仏法興隆にてあれ。

今僧堂を立てんとて勧進をもし、随分に労する事は、必ずしも仏法興隆と思わず。ただ当時学道する人もなく、徒らに日月を送る間、ただあらんよりもと思うて、迷徒の結縁ともなれかし、また当時学道の輩の坐禅の道場のためなり。また、思い始めたる事のならずとても、恨みあるべからず。ただ柱一本なりとも立て置きたらば、後来も思い企てたれども成らざりけりと見んも苦思すべからざるなり。

またある人すすみて云く、「仏法興隆のため関東に下向すべし。」と。
答えて云く、然らず。もし仏法に志あらば、山川江海を渡っても来って学すべし。その志なからん人に往き向かって勧むとも、聞き入れん事不定なり。ただ我が資縁のため人を誑惑せん、財宝を貪らんためか。それは身の苦しければ、いかでもありなんと覚ゆるなり。

また云く、学道の人、教家の書籍及び外典等学すべからず。見るべき語録等を見るべし。その余はしばらく是れを置くべし。
今代の禅僧、頌を作り法語を書かん料に文筆等を好む、是れ則ち非なり。頌作らずとも、心に思わん事を書いたらん。文筆調わずとも、法門を書くべきなり。是れをわるしとて見たがらぬほどの無道心の人は、好き文筆を調え、いみじき秀句ありとも、ただ言語ばかりを翫んで、理を得べからず。我れも本幼少の時より好み学せし事にて、今もややもすれば、外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるるを、詮なき事と存ずれば、一向に捨つべき由を思うなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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