【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし

投稿日:1235年6月11日 更新日:

また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。
第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は、仏は是れ輪王の太子にてまします。一天をも御意にまかせ給いつべし。財を以て弟子を哀み、所領を以て弟子をはごくむべくんば、何の故にか捨てて自ら乞食を行じ給うべき。決定末世の衆生の為にも、弟子行道の為にも、利益の因縁あるべきが故に、財宝を貯えず、乞食を行じおき給えり。然つしより以来、天竺漢土の祖師の由、また人にも知られしは、皆貧窮乞食せしなり。

況んや我が門の祖々、皆財宝を蓄うべからずとのみ勧むるなり。教家にもこの宗を讃たるに、先ず是れをほめ、記録の家にもこの事を記して讃むるなり。いまだ財宝に富みゆたかにして仏法を行ぜし事を聞かず。皆よき仏法者と云うは、あるいは布納衣、常乞食なり。禅門によき僧と云われはじめおこるも、あるいは教院、律院等に雑居せし時も、禅僧の異をば身をすて貧人なるを以て異せりとす。宗門の家風、先ずこの事を存ずべし。聖教の文理を待つべからず。我が身にも田園等を持ったる時もありき。また財宝を領ぜし時もありき。彼の時の身心と、このごろ貧しくして衣孟に乏しき時とを比するに、当時の心勝れたりと覚ゆ。是れ現証なり。

また云く、古人云く、「その人に似ずしてその風を語る事なかれ。」と。言う心は、その人の徳を学ばず知らずして、その人の失なるを、その人はよけれども、その事あしきなり、あしき事をよき人もすると思うべからず。
ただその人の徳を取り失を取ることなかれ。君子は徳を取って失を取らずと云える、この心なり。

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『正法眼蔵随聞記』

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