示して云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先ずよく領解する由を知られんと思うて、答の言のよからん様を思うほどに、聞くことは耳を過ごすなり。詮ずる処道心なく、吾我を存ずる故なり。
ただすべからく先ず我れを忘れ、人の言わん事をよく聞いて、後に静かに案じて、難もあり不審もあらば、遂っても難じ、心得たらば遂って帰すべし。当座に領する由を呈せんとする、法をよくも聞かざるなり。
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『正法眼蔵随聞記』
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