【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』8、人法門を問う

投稿日:1235年6月15日 更新日:

一日示して云く、人、法門を問う、あるいは修行の方法を問うことあらば、衲子はすべからく実を以て是れを答うべし。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心末入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩薩戒の意は、たとひ小乗の器、小乗の道を問うとも、ただ大乗を以て答うべきなり。如来一期の化儀も尓前方便の権教は実に無益なり。ただ最後実教のみ実に益あるなり。

しかれば、他の得不得を論ぜず、ただ実を以て答うべきなり。もしこの中の人を見ば、実徳を以て是れをうる事を得べし。仮徳を以てうる事を得べし。外相仮徳を以て是れを見るべからず。

昔、孔子に一人有って来帰す。
孔子問うて云く、「汝何を以てか来って我れに帰する。」
彼の俗云く、「君子参内の時是れを見しに、顒々(ぎょうぎょう)として威勢あり。依って是れに帰す。」と。
孔子、弟子をして、乗物・裝束・金銀・財物等を取り出して是れを与えき。
「汝、我れに帰するにあらず。」と。

また云く、宇治の関白殿、ある時鼎殿に到って火を焼く処を見る。
鼎殿見て云く、「何者ぞ、左右なく御所の鼎殿へ入るは。」と云って追出されて後、先の悪き衣服を脱ぎ改めて、顒々として取り裝束して出給う時に、前の鼎殿、はるかに見て恐れ入ってにげぬ。時に殿下、裝束を竿にかけられけり。人、是れを問う。
「我れ人に貴びらるるも我が徳にあらず。ただこの裝束の故なり。」と。
愚かなる者の人を貴ぶ事かくのごとし。経教の文字等を貴ぶ事もまた是のごとし。

古人の云く、「言、天下に満ちて口過なく、行、天下に満ちて怨悪を亡ず。」と。是れ則ち言うべき処を言い、行うべき処を行う故なり。至徳要道の行なり。
世間の言行は私然を以て計らい思う。恐らくは過のみあらん事を。衲子の言行は先証是れ定まれり。私曲を存ずべからず。仏祖行い来れる道なり。
学道の人、各々自ら己が身を顧みるべし。身を顧みると云うは、身心いかように持つべきぞと顧みるべし。然るに衲子は、則ち是れ釈子なり。如来の風儀を慣うべきなり。身口意の威儀、皆千仏行じ来れる作法あり。各々その儀に随うべし。俗なお「服、法に応じ、言、行に随うべし。」と云えり。一切私を用うるべからず。

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『正法眼蔵随聞記』

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