【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心に信心をもて敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり。破戒無慚の僧なれば、疎相麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を被るなり。しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像・経巻・僧侶なり。故に帰敬すれば益あり、不信なれば罪を受くるなり。何に希有に浅増くとも、三宝の境界をば恭敬すべきなり。禅僧は善を修せず功徳を要せずと云って悪行を好む、きわめて僻事なり。先規いまだ是の如くの悪行を好む事を聞かず。

丹霞天然禅師は木仏をたく、是れこそ悪事と見えたれども、是れも一段の説法施設なり。この師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず礼あり、常に貴き賓客に向かうが如し。暫時の坐にも必ず跏趺し、叉手す。常住物を守る事眼睛の如くす。勤修するものあれば必ず加す。小善なれども是れを重くす。常図の行状勝れたり。彼の記をとどめて今の世までも叢林の亀鏡とするなり。

しかのみならず、諸の有道の師、先規悟道の祖、見聞するに皆戒行を守り威儀を調う。たとひ小善と云うとも是れを重くす。いまだ聞かず、悟道の師の善根を忽諸する事を。

故に学人祖道に随わんと思わば必ず善根をかろしめざれ。信教を専らにすべし。仏祖の行道は必ず衆善の集まる所なり。諸法皆仏法なりと体達しつる上は、悪は決定悪にて仏祖の道に遠ざかり、善は決定善にて仏道の縁となる。知るべし、もし是のごとくならば何ぞ三宝の境界を重くせざらんや。

また云く、今仏祖の道を行ぜんと思わば、所期も無く所求も無く、所得も無くして無利に先聖の道を行じ、祖々の行履を行ずべきなり。所求を断じ、仏果を望むべからず。さればとて修行をとどめ、本の悪行にとどまらば、還って是れ所求に墜し、窠臼にとどまるなり。全く一分の所期を存ぜずして、ただ人天の福分とならんとて、僧の威儀を守り、済度利生の行儀を思い、衆善を好み修して、本の悪をすて、今の善にとどこおらずして一期行じもてゆけば、是れを古人も漆桶を打破する底と云うなり。仏祖の行履是の如くなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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