【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。

仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったりとも、知識もし仏と云うは蝦蟆蚯蚓ぞと云わば、蝦蟆蚯蚓を、是れらを仏と信じて、日比の知恵を捨つるなり。この蚯蚓の上に仏の相好光明、種々の仏の所具の徳を求むるもなお情見あらたまらざるなり。ただ当時の見ゆる処を仏と知るなり。もし是の如く言に従って、情見本執をあらためてもて去けば、自ら合う処あるべきなり。

然るに近代の学者、自らが情見を執して、己見にたがう時は、仏とはとこそあるべけれ、また我が存ずるようにたがえば、さはあるまじなんどと言って、自が情量に似たることやあると迷いありくほどに、おおかた仏道の精進なきなり。

また身を惜しみて、「百尺の竿頭に上って手足を放って一歩進め。」と言う時は、「命あってこそ仏道も学せめ。」と云って、真実に知識に随順せざるなり。能々思量すべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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