【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第3 大いなる章】3、みごとに説かれたこと

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師ブッダは、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、は諸々の道の人に呼びかけられた、「修行僧たちよ」と。「尊き師よ」と、道の人たちはに答えた。は告げて言われた、「修行僧たちよ。四つの特徴を具えた言葉は、みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。その四つとは何であるか?道の人たちよ、ここで修行僧が、①みごとに説かれた言葉のみを語り、悪しく説かれた言葉を語らず、②理法のみを語って理にかなわぬことを語らず、③好ましいことのみを語って、好ましからぬことを語らず、④真理のみを語って、虚妄を語らないならば、この四つの特徴を具えている言葉は、みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。」尊きはこのことを告げた。そのあとでまた、幸せな人であるは、次のことを説いた。

450 立派な人々は説いた、①最上の善い言葉を語れ。これが第一である。②正しい理を語れ、理に反することを語るな。これが第二である。③好ましい言葉を語れ。好ましからぬ言葉を語るな。これが第三である。④真実を語れ。偽りを語るな。これが第4である。

 その時、ヴァンギーサ長老は座から起ち上がって、衣を一つの肩にかけ右肩をあらわして、ブッダ)のおられる方に合掌して、に告げて言った、「ふと思い出すことがあります!幸せな方よ」と。「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、は言われた。そこでヴァンギーサ長老はの面前で、相応しい詩を以てをほめ称えた。

451 自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである。

452 好ましい言葉(愛語)のみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられる言葉である。感じの悪い言葉を避けて、他人の気に入る言葉のみを語るのである。

453 真実は実に不滅の言葉である。これは永遠の理法である。立派な人々は、真実の上に、本当の意味で人のためになること(義、利、道義)の上に、また理法の上に安立していると言われる。

454 安らぎに達する為に、苦しみを終減させるために、仏の説きたもうおだやかな言葉は、実に諸々の言葉の内で最上のものである。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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