【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』20、犯戒と言うは受戒以後の所犯を道うか

投稿日:1235年6月11日 更新日:

奘問うて云く、犯戒と言うは、受戒以後の所犯を道うか、ただしまた未受以前の罪相をも犯戒と道うべきか。
師答えて云く、犯戒の名は受後の所犯を道うべし。未受以前所作の罪相をばただ罪相、罪業と道って犯戒と道うべからず。

問うて云く、四十八軽戒の中に、未受戒の所犯を犯と名づくと見ゆ。如何。
答えて云く、然らず。彼の未受戒の者、今受戒せんとする時、所造の罪を懺悔する時、今の戒に望めて十戒等を授くるに、軽戒を犯せるを犯すと云うなり。以前所造の罪を犯戒と云うにあらず。

問うて云く、今受戒せん時、所造の罪を懺悔せん為に、未受の者をして懺悔せしむるに、「十重四十八軽戒を教えて読誦せしむべし。」と見えたり。また下の文に、「未受戒の前にして説戒すべからず。」と云えり。二度の相違如何。
答えて云く、受戒と誦戒とは別なり。懺悔のために戒経を誦ずるはなお是れ念経なるが故に、末受の者、戒経を誦せんとす。彼が為にを戒経を説かん事、咎あるべからず。下の文には「利養の為のゆえに、」未受の前に是れを説く事を修せんとす。最も是れを教うべし。

問うて云く、受戒の時は七逆の懺悔すべしと見ゆ。如何。
答えて云く、実に懺悔すべし。受戒の時、許さざる事は、且く抑止門とて抑うる儀なり。また上の文は、破戒なりとも還得受せば清浄なるべし。懺悔すれば清浄なり。未受には同じからず。

問うて云く、七逆即に懺悔を許さばまた受戒すべきか。如何。
答えて云く、然なり。故僧正自ら立つ所の義なり。既に懺悔を許さばまた是れ受戒すべし。逆罪なりとも悔いて受戒せば授くべし。況んや菩薩は、たとひ自身は破戒の罪を受くとも、他の為に受戒せしむべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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