【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』化身土巻 - 本

投稿日:1224年1月1日 更新日:

顕浄土方便化身土文類六 本

無量寿仏観経の意
至心発願の願 邪定聚の機

双樹林下往生

阿弥陀経の意なり
至心回向の願 不定聚の機

難思往生

顕浄土方便化身土文類六

愚禿釈親鸞集

 謹んで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説の如し。真身観の仏、是れなり。土は『観経』の浄土、是れなり。復た『菩薩処胎経』等の説の如し。即ち懈慢界、是れなり。亦『大無量寿経』の説の如し。即ち疑城胎宮、是れなり。

 然るに、濁世の群萌、穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり。偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し。

 是を以て、釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して、群生海を誘引し、阿弥陀如来、本、誓願を発して、普く諸有海を化したまう。既にして悲願有す。「修諸功徳の願」と名づく、復た「臨終現前の願」と名づく、復た「現前導生の願」と名づく、復た「来迎引接の願」と名づく、亦「至心発願の願」と名づくべきなり。

 是を以て『大経』の願に言わく、「設い我、仏を得んに、十方の衆生、菩提心を発し諸の功徳を修し、心を至し発願して我が国に生まれんと欲わん。寿終の時に臨みて、仮令い大衆と囲遶して、其の人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」と。

 『悲華経』の「大施品」に言わく、「願わくは我、阿耨多羅三藐三菩提を成り已らんに、其の余の無量無辺阿僧祇の諸仏世界の所有の衆生、若し阿耨多羅三藐三菩提心を発し、諸の善根を修して我が界に生まれんと欲わん者、臨終の時、我、当に大衆と囲繞して、其の人の前に現ずべし。其の人、我を見て、即ち我が前にして心に歓喜を得ん。我を見るを以ての故に、諸の障閡を離れて、即便ち身を捨てて我が界に来生せしめん」と。已上

 此の願成就の文は、即ち三輩の文、是れなり。『観経』の定散九品の文、是れなり。

 又『大経』に言わく、「又、無量寿仏の其の道場樹は、高さ四百万里なり。其の本、周囲五十由旬なり。枝葉、四に布きて二十万里なり。一切の衆宝、自然に合成せり。月光摩尼持海輪宝の衆宝の王たるを以て、之を荘厳せり。乃至 阿難。若し彼の国の人天、此の樹を見る者は三法忍を得ん。一には音響忍、二には柔順忍、三には無生法忍なり。此れ皆、無量寿仏の威神力の故に、本願力の故に、満足願の故に、明了願の故に、堅固願の故に、究竟願の故なりと。乃至 又、講堂・精舎・宮殿・楼観、皆、七宝をもって荘厳し、自然に化成せり。復た真珠・明月摩尼・衆宝を以て、以て交露とす。其の上に覆蓋せり。内外左右に諸の浴地有り。十由旬、或いは二十・三十、乃至百千由旬なり。縦広・深浅、各おの皆一等なり。八功徳水、湛然として盈満せり。清浄香潔にして、味、甘露の如し」と。

 又言わく(大経)、「「其れ胎生の者は、処する所の宮殿、或いは百由旬、或いは五百由旬なり。各おの其の中にして、諸の快楽を受くること、忉利天上の如し。亦皆自然なり。」

 爾の時に慈氏菩薩、仏に白して言さく、「世尊。何の因、何の縁あってか、彼の国の人民、胎生・化生なる」と。

 仏、慈氏に告げたまわく、「若し衆生有りて、疑惑心を以て諸の功徳を修して、彼の国に生まれんと願ぜん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、此の諸智に於いて疑惑して信ぜず。然も猶、罪福を信じて善本を修習して、其の国に生まれんと願ぜん。此の諸の衆生、彼の宮殿に生まれて寿五百歳、常に仏を見ず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず。是の故に彼の国土には、之を「胎生」と謂う。乃至 弥勒、当に知るべし。彼の化生の者は、智慧勝れたるが故に。其の胎生の者は皆、智慧無きなり。」乃至

 仏、弥勒に告げたまわく、「譬えば転輪聖王の如し。七宝の牢獄有らん。種種に荘厳し、牀帳を張設し、諸の繒幡を懸けたらん。若し諸の小王子、罪を王に得たらん。輒ち彼の獄の中に内れて、繫ぐに金鎖を以てせん。」乃至

 仏、弥勒に告げたまわく、「此の諸の衆生、亦復是くの如し。仏智を疑惑するを以ての故に彼の胎宮に生まれん。乃至 若し此の衆生、其の本の罪を識りて、深く自ら悔責して、彼の処を離るることを求めん。乃至 弥勒、当に知るべし。其れ菩薩有りて、疑惑を生ぜば大利を失すとす。」」已上抄出

 『如来会』に言わく、「仏、弥勒に告げたまわく、「若し衆生有りて、疑悔に随いて善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求せん。自らの善根に於いて信を生ずること能わず。此の因縁を以て、五百歳に於いて宮殿の中に住せん。乃至 阿逸多。汝、殊勝智の者を観ずるに、彼は広慧の力に因るが故に、彼の導華の中に化生することを受けて結跏趺座せん。汝、下劣の輩を観ずるに、乃至 諸の功徳を修習すること能わず。故に因無くして無量寿仏に奉事せん。是の諸の人等は皆、昔の縁、疑悔を為して致す所なればなり」と。乃至

 仏、弥勒に告げたまわく、「是くの如し、是くの如し。若し疑悔に随いて諸の善根を種えて、仏智、乃至広大智を希求すること有らん。自らの善根に於いて信を生ずること能わず。仏の名を聞くに由りて信心を起こすが故に彼の国に生まると雖も、蓮華の中にして出現することを得ず。彼等の衆生、華胎の中に処すること、猶、園苑宮殿の想の如し」」と。抄要

 『大経』に言わく、「諸の少行の菩薩及び少功徳を修習する者、称計すべからざる、皆、当に往生すべし」と。

 又言わく(如来会)、「況んや余の菩薩、少善根に由りて彼の国に生ずる者、称計すべからず」と。已上

 光明寺(善導)の『釈』(定善義)に云わく、「華に含みて未だ出でず。或いは辺界に生じ、或いは宮胎に堕せん」と。已上

 憬興師の云わく(述文賛)、「仏智を疑うに由りて、彼の国に生まれて辺地に在りと雖も、聖化の事を被らず。若し胎生せば、宜しく之を重く捨つべし」と。已上

 首楞厳院(源信)の『要集』(往生要集)に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「「問う。『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方、此の閻浮提を去ること、十二億那由他に、懈慢界有り。乃至 意を発する衆生、阿弥陀仏国に生ぜんと欲する者、皆、深く懈慢国土を着して、前進んで阿弥陀仏国に生ずること能わず。億千万の衆、時に一人有りて、能く阿弥陀仏国に生ず」と云云。此の『経』を以て准難するに、生を得べしや。」

 答う。『群疑論』に善導和尚の前の文を引きて、此の難を釈して、又自ら助成して云わく、「此の『経』の下の文に云わく、「何を以ての故に。皆、懈慢に由りて執心牢固ならず」」と。是に知りぬ。雑修の者は執心不牢の人とす。故に懈慢国に生ず。若し雑修せずして専ら此の業を行ずるは、此れ即ち執心牢固にして、定めて極楽国に生ず。乃至 又、報の浄土に生ずる者は極めて少なし。化の浄土の中に生ずる者は少なからず。故に経の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄

(化身土巻 - 本 は続く)

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