【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」生死(しょうじ)

投稿日:2020年9月24日 更新日:

生死の中に仏あれば生死なし。又云く、生死の中に仏なければ生死にまどはず。
心は、夾山、定山といはれしふたりの禅師の言葉なり。得道の人の言葉なれば、さだめてむなしくまうけじ。
生死を離れんとおもはん人、まさにこのむねをあきらむべし。もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなへり。ただ生死すなはち涅槃と心えて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり。
生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなはち不滅といふ。生といふ時には、生よりほかにものなく、滅といふとき、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。
この生死はすなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなふなり、仏のありさまをとどむるなり。いとふことなく、したふことなき、このときはじめて仏の心にいる。ただし、心をもてはかることなかれ、言葉をもていふことなかれ。ただ我が身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、心をもつひやさずして、生死を離れ、仏となる。たれの人か、心にとどこほるべき。
仏となるに、いとやすきみちあり。諸々の悪をつくらず、生死に著する心なく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふ心なく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを仏となづく。又ほかにたづぬることなかれ。

正法眼蔵生死

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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