【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」道心(どうしん)

投稿日:2020年9月24日 更新日:

仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。

よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、人にしられざる人あり。かくのごとく、ありなししりがたし。おほかた、おろかにあしき人の言葉を信ぜず、きかざるなり。また、我が心をさきとせざれ、仏のとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、よるひる常に心にかけて、この世にいかでかまことの菩提あらましと、ねがひいのるべし。

世のすゑには、まことある道心者、おほかたなし。しかあれども、しばらく心を無常にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし。我は世のはかなきことをおもふと、しられざるべし。あひかまへて、法をおもくして、我が身、我がいのちをかろくすべし。法のためには、身もいのちもをしまざるべし。

つぎには、ふかく仏法僧三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝を供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功徳をおもひたてまつるべし、ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生を捨てて、いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、そのあひだも、常にこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども、七七日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、
南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧
ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。

すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、正知ありて託胎せん。処胎蔵にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちんときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三宝をくやうじたてまつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。

またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。その時を、すでに生のをはりとしりて、励みて南無帰依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方の諸仏、あはれみをたれさせたまふ。縁ありて悪趣に赴くべきつみも、転じて天上にむまれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。

眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまず励みて三帰依となへたてまつること、中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生々世々をつくしてとなへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ諸仏菩薩のおこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし。

又、一生の内に仏をつくりたてまつらんといとなむべし。つくりたてまつりては、三種の供養じたてまつるべし。三種とは、草座、石蜜漿、燃燈なり。これをくやうじたてまつるべし。

又、この生の内に、法華経つくりたてまつるべし。かきもし、摺写もしたてまつりて、保ちたてまつるべし。常にはいただき、礼拝したてまつり、華香、みあかし、飲食衣服もまゐらすべし。常にいただきをよくして、いただきまゐらすべし。

又、常にけさをかけて坐禅すべし。袈裟は、第三生に得道する先蹤あり。すでに三世の諸仏の衣なり、功徳はかるべからず。坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり。

正法眼蔵 道心

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすく読み進めるために漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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