ゆえにせぞくのじきづしおよび
所以に世俗の食厨子及び
せんぷとうにおなじからざるものか。
饌夫等に同じからざる者か。
さんぞうざいそうのとき、かじつ
山僧在宋の時、暇日
ぜんしごんきゅうとうにしもんするに、
前資勤旧等に咨問するに、
かれらいささかけんもんをこして、
彼等いささか見聞を挙して、
もってさんぞうがためにとく。この
以て山僧が為めに説く。この
せつじは、こらいうどうのぶっそ、
説似は、古来有道の仏祖、
のこすところのこつずいなり。おおよそ
遺す所の骨隨なり。大抵
すべからく『ぜんねんしんぎ』を
すべからく『禅苑清規』を
じゅくけんすべし。
熟見すべし。
しかしてのちすべからく
然して後すべからく
きんきゅうしさいのせつをきくべし。
勤旧子細の説を聞くべし。
いわゆるとうしょくはいちにちやをへ、
いわゆる当職は一日夜を経、
のあたりについて、
の辺に就いて、
よくじつさいしゅくのもつりょうをたす。
翌日斎粥の物料を打す。
いわゆるべいさいとうなり。
いわゆる米菜等なり。
たとくしおわってこれをごしゃくする
打得し了って之を護惜する
ことがんぜいのごとくせよ。
こと眼睛の如くせよ。
ほねいのゆうぜんじいわく、
保寧の勇禅師曰く、
ごしゃくせよ」と。
護惜せよ」と。
これをきょうじゅうすること
之を敬重すること
ぎょせんそうりょうのごとくせよ。
御饌草料の如くせよ。
しょうもつじゅくもつ、ともにこのいを
生物熟物、倶にこの意を
ぞんせよ。つぎにもろもろのちじ、
存せよ。次に諸の知事、
くどうにあってしょうりょうすらく、
庫堂に在って商量すらく、
あすなんのあじをきっし、
明日なんの味を喫し、
なんのなをきっし、
なんの菜を喫し、
なんのかゆとうをもうくと。
なんの粥等を設くと。
『ぜんえんしんぎ』にいわく、
『禅苑清規』に云く、
「ぶつりょうならびにさいしゅくのみすう
「物料並に斎粥の味数
をたするがごときは、
を打するが如きは、
ならびにまず
ならびにまず
みすうぎじょうしおわらば、ほうじょう
味数議定し了らば、方丈
しょていせよ。しかしてのちに
書呈せよ。然して後に
みょうちょうのゆくをせつべんす。
明朝の粥を設弁す。
べいをゆりさいとうをととのうるに、
米を淘り菜等を調うるに、
おのずからてずからしたしくみ、
自ら手ずから親しく見、
しょうごんじょうしんにしいてなせ。
精勤誠心にして作せ。
いちねんもそたいかんまんにして、
一念も疎怠緩慢にして、
いちじをばかんかし、いちじをば
一事をば管看し、一事をば
かんかせざるべからず。
管看せざるべからず。
くどくかいちゅう、
功徳海中、
いってきもまたゆずることなかれ、
一滴も也た譲ること莫れ、
ぜんこんさんじょう、
善根山上、
いちじんもまたつむべきか。
一塵もまた積むべきか。
※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。
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