『典座教訓』16、自他の境をとりはずす

投稿日:2023年8月13日 更新日:

応に知るべし佗未だかつて発心せずと雖も、若し一の本分人を見ば、則ち其の道を行得せん。未だ一の本分人を見ずと雖も、若し是れ深く発心せば、則ち其の道を行膺せん。既に両闕を以てせば、何を以てか一益あらん。大宋国の諸山諸寺に、知事頭首の職に居るの族を見るが如きは、一年の精勤を為すと雖も、各々三般の住持を存し、時と与に之を営み、縁を競うて之を励ます。已に佗を利するが如く、兼ねて自利を豊かにし、叢席を一興し、高格を一新し、肩を斎うし頭を競い、腫を継ぎ蹤を重んず。是に於いて応に詳かにすべし、自を見ること佗の如くなるの癡人有り、佗を顧みること自の如くなる君子有ることを。

古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、霊台一点も揩磨せず、生を貪り日を逐うて区々として去る、喚べども頭を廻らさず争奈何せん。」と。すべからく知るべし、未だ知識を見ざれば、人情に奪わるることを。憐むべし、愚子長者所伝の家財を運出して、徒らに佗人面前に塵糞と作すことを。今乃ち然あるべからざるや。嘗て当職前来の有道を観るに、其の掌其の徳自ら符う。大潙の悟道も典座の時なり。洞山の麻三斤も、また典座の時なり。

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※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるための功夫をしています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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