【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』15、全て行ずることが仏事

投稿日:1237年8月13日 更新日:

さんぞうきこくよりこのかた、
山僧帰国より以降、

しゃくをけんにんにとどむること
錫を建仁に駐むること

いちりょうさんねん。かのてら、
一両三年。彼の寺、

おろかにこのしょくをおけども、
愗かにこの職を置けども、

※「愗かに」・・・「憖(なまじ)に」の誤字と考えられ「仕方なく」という意味で読む。

ただみょうじのみあって、
唯名字のみ有って、

まったくひとのじつなし。いまだ
全く人の実無し。未だ

これぶつじなることをしらず。
是れ仏事なることを識らず、

あにあえてどうをべんこうせんや。
豈に肯て道を弁肎せんや。

まことにれんみんすべし。
真に憐憫すべし。

そのひとにあわずして
其の人に遇わずして

むなしくこういんをわたり、
虚しく光陰を度り、

みだりにどうごうをやぶることを。
浪りに道業を破ることを。

かつてかのてら
かつて彼の寺

このしょくのそうをみるに、
この職の僧を看るに、

にじのさいしゅくに、
二時の斎粥に、

すべてことをかんせず。
都て事を管せず。

ひとりのむずのうむにんじょうの
一りの無頭脳無人情の

ぬすをたいして、いっさいだいしょうのじ
奴子を帯して、一切大小の事

すべてたにせっこうす。
総て佗に説向す。

せいをなしえるも、
正を作し得るも、

ふせいをなしえるも、
不正を作し得るも、

いまだかつてゆいてかんせず。
未だかつて去いて看せず。

りんけにふじょあるがごとくに
隣家に婦女有るが如くに

そうじて、もしゆいて
相似て、若し去いて

みることをうれば、
見ることを得れば、

たすなわちはじとしすなわちきずとす。
佗乃ち恥とし乃ち瑕とす。

いっきょくをけっこうして、
一局を結構して、

あるいはえんがし、
あるいは偃臥し、

あるいはだんしょうし、
あるいは談笑し、

あるいはかんぎん、
あるいは看経、

あるいはねんじゅ、
あるいは念誦、

ひひさしくつきふかけれども、
日久しく月深けれども、

くわへんにいたらず。
鍋辺に到らず。

いわんやじゅうもつをばいさくし、
況んや什物を買索し、

みすうをていかんせんや。
味数を諦観せんや。

あにそのじをそんせんや。
豈其の事を存せんや。

いかにいわんやりょうせつのきゅうはい、
何に況んや両節の九拝、

いまだゆめにもみることあらず。
未だ夢にも見ること在らず。

ときいたってずんなんをおしうるにまた
時至って童行を教うるに也た

いまだかつてしらず。
未だかつて知らず。

あわれむべしかなしむべし。
憐むべし悲しむべし。

むどうしんのひと、いまだかつて
無道心の人、未だかつて

うどうとくのやからにぐうけんせず。
有道徳の輩に遇見せず、

ほうざんにいるといえども
宝山に入ると雖も

くうしゅにしてかえり、
空手にして帰り、

ほうかいにいたるといえども
宝海に到ると雖も

くうしんにしてかえることを。
空身にして還ることを。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

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