『典座教訓』15、すべて行ずることが仏事

投稿日:2023年8月13日 更新日:

山僧帰国より以降、錫を建仁に駐むること一両三年。彼の寺、愗かにこの職を置けども、唯名字のみ有って、全く人の実無し。未だ是れ仏事なることを識らず、豈に肯て道を弁肎せんや。真に憐憫すべし。其の人に遇わずして虚しく光陰を度り、浪りに道業を破ることを。かつて彼の寺この職の僧を看るに、二時の斎粥に、都て事を管せず。一りの無頭脳無人情の奴子を帯して、一切大小の事、総て佗に説向す。正を作し得るも、不正を作し得るも、未だかつて去いて看せず。隣家に婦女有るが如くに相似て、若し去いて見ることを得れば、佗乃ち恥とし乃ち瑕とす。一局を結構して、あるいは偃臥し、あるいは談笑し、あるいは看経、あるいは念誦、日久しく月深けれども、鍋辺に到らず。

況んや什物を買索し、味数を諦観せんや。豈其の事を存せんや。何に況んや両節の九拝、未だ夢にも見ること在らず。時至って童行を教うるに也た未だかつて知らず。憐むべし悲しむべし。無道心の人、未だかつて有道徳の輩に遇見せず、宝山に入ると雖も空手にして帰り、宝海に到ると雖も空身にして還ることを。

※「愗(おろ)かに」・・・「憖(なまじ)に」の誤字と考えられ「仕方なく」という意味で読む。

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※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるための功夫をしています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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