【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』11、よく自分のことを勤める

投稿日:1237年8月13日 更新日:

またかてい16ねん、みずのとひつじ、
又嘉定十六年、癸未、

ごがつのころ、
五月の中、

けいげんのはくりにあり。
慶元の舶裏に在り。

わしせったのついで、
倭使頭説話の次で、

いちろうそうありきたる。
一老僧有り来る。

としは60さいほど。
年六十許歳。

いちじきにすなわちはくりにいたって、
一直に便ち舶裏に到って、

わきゃくにとうて
和客に問うて

わじんをたずねかう。
倭椹を討ね買う。

さんぞうたをしょうして
山僧佗を請して

ちゃをきっせしむ。
茶を喫せしむ。

たのしょざいをとえば、
佗の所在を問えば、

すなわちこれ
便ち是れ

いくおうざんのてんぞなり。
阿育王山の典座なり。

たいわく、
佗云く、

「われこれせいしょくじんなり。ごうを
「吾は是れ西蜀人なり。郷を

はなるること40ねんをえたり。
離るること四十年を得たり。

ことしこれ61さい。
今年是れ六十一歳。

こうらいほぼしょほうのそうりんをへたり
向来粗諸方の叢林を歴たり。

せんねんこうんりにごんじゅうし、
先年孤雲裏に権住し、

いくおうをたずねえてかたし、
育王を討ね得て掛搭し、

うろんにすぐ。しかあるにきょねん
胡乱に過ぐ。然あるに去年

けげりょうにほんじのてんぞにあて
解夏了に本寺の典座に充て

らる。みょうにちいつかにして、
らる。明日五日にして、

いっくすべてこうきつするなし。
一供渾て好喫する無し。

めんじゅうをなさんとようするに、
麺汁を做さんと要するに、

いまだじんのあるあらず。
未だ椹の在る有らず。

よってとくじとしてきたるは、
仍って特持として来るは、

じんをたずねかうて、じっぽうの
椹を討ね買うて、十方の

うんのうにくようせんとす。」と。
雲衲に供養せんとす。」と。

さんぞうたにとう、
山僧佗に問う、

「いくばくときにかしこをはなる。」
「幾く時にか彼を離る。」

ぞいわく、「さいりょう。」
座云く、「斎了。」

さんぞういわく、「いくおうしゃりを
山僧云く、「育王這裏を

さってたしょうのみちかある。」
去って多少の路か有る。」

ぞいわく、「34、5り」
座云く、「三十四五里。」

さんぞういわく、「いくばくときか
山僧云く、「幾く時か

じりにまわりさるや。」
寺裏に廻り去るや。」

ぞいわく、「にょこんじんを
座云く、「如今椹を

かいおわらばすなわちいかん。」と。
買い了らば便ち行かん。」と。

さんぞういわく、
山僧云く、

こんにちきせずしてそうえし、
「今日期せずして相会し、

かつせんりにあってせつわす。
且つ舶裏に在って説話す。

あにこうけちえんにあらざらんや。
豈に好結縁に非ざんや。

どうげんてんぞぜんじをくようせん。」
道元典座禅師を供養せん。」

ぞいわく、「ふかなり。
座云く、「不可なり。

みょうにちのくようわれもしかんせずんば
明日の供養吾若し管せずんば

すなわちふぜにしおわらん。」
便ち不是にし了らん。」

さんぞういわく、
山僧云く、

「じりになんぞどうずのものの
「寺裏に何ぞ同事の者の

さいしゅくをりえするなからんや。
斎粥を理会する無らんや。

てんぞいちいふざいなりとも、
典座一位不在なりとも、

なんのかんけつかあらん。」
什麼の欠闕か有らん。」

ぞいわく、
座云く、

「われろうねんにこのしょくをつかさどる
「吾老年にこの職を掌る、

すなわちもうぎゅうのべんどうなり、
乃ち耄及の弁道なり、

なにをもってかたにゆずるべけんや。
何を以てか佗に讓るべけんや

またきたるとき
又来る時

いまだいちやしゅくのかをこわず。
未だ一夜宿の暇を請わず。」

さんぞうまたてんぞにとう、
山僧典座に問う、

「ぞそんねん、なんぞざぜんべんどうし、
「座尊年、何ぞ坐禅弁道し、

こじんのわとうをかんせずして、
古人の話頭を看せずして、

わずらわしくてんぞにあてて、
煩わしく典座に充てて、

しかんにさむす、
只管に作務す、

なんのこうずかある。」と。
甚の好事か有る。」と。

ぞおおわらいしていわく、
座大笑して云く、

「がいこくのすきびと、
「外国の好人、

いまだべんどうをりょうえせず、いまだ
未だ弁道を了得せず、未だ

もじをちとくせざることあり。」
文字を知得せざること在り。」

さんぞうたのかくのごときの
山僧佗の恁地の

はなしをききて、
話を聞きて、

こつぜんとしてほつざんきょうしんして、
忽然として発慚驚心して、

すなわちたにとう、
便ち佗に問う、

「いかにあらんかこれもじ、
「如何にあらんか是れ文字、

いかにあらんかこれべんどう。」
如何にあらんか是れ弁道。」

ぞいわく、
座云く、

「もしもんじょをしゃかせずんば、
「若し問処を蹉過せずんば、

あにそのひとにあらざらんや。」
豈其の人に非ざんや。」

さんぞうそのかみふえ。
山僧当時不会。

ぞいわく、
座云く、

「もしいまだりょうえせずんば、
「若し未だ了得せずんば、

たじごじつ、いくおうざんにいたれ、
佗時後日、育王山に到れ、

いちばんもじのどうりを
一番文字の道理を

しょうりょうしさることあらん。」と。
商量し去ること在らん。」と。

かくのごとくかたってすなわち
恁地く話了って便ち

ざをおこっていわく、
座を起こって云く、

「ひくれなんいそぎいなん」と。
「日晏れなん忙ぎ去なん」と

すなわちかえりされり。
便ち帰り去れり。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

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