【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

投稿日:1236年12月31日 更新日:

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。

小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知って接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。

初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなわしむ。衆の少なきにはばかれる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽はわずかに六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云いき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹あに利鈍あり、迷悟あらんや。花何ぞ浅深あり、賢愚あらん。花は年々に開くれども皆得悟するにあらず。竹は時々に響けども聴く者ことごとく証道するにあらず。ただ久参修持の功にこたえ、弁道勤労の縁を得て悟道明心するなり。是れ竹の声の独り利なるにあらず、また花の色のことに深きにあらず。竹の響き妙なりと云えども、自らの縁を待って声を発す。花の色美なりと云えども独り開くるにあらず。春の時を得て光を見る。

学道の縁もまた是の如し。人々皆道を得る事は衆縁による。人々自ら利なれども道を行ずる事は衆力を以てするが故に、今心を一つにして参究尋覓すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。何の玉かはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。

古人云く、「光陰虚しくわたる事なかれ。」と。今問う、時光は惜むによりてとどまるか、惜めどもとどまらざるか。また問う、時光虚しくわたらず、人虚しく渡るか。時光をいたづらに過ごす事なく学道せよと云うなり。

是のごとく参、同心にすべし。我れ独り挙揚せんに容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、皆是のごとくなり。如来に従って得道するもの多けれども、また阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下する事なく、洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すべしと云って、座をおりて、再び鼓を鳴らして、首座秉払す。是れ興聖最初の秉払なり。懐奘三十九の年なり。

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『正法眼蔵随聞記』

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