【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』97、世間の人自ら云く

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなわず。」と。
我れ思うに、この言は非なり。その心如何。もし聖教等の道理を心得をし、全てその心に違する、非なりと思うか。もし然らば、何ぞ師に問う。またひごろの情見をもて云うか。もし然らば、無始より以来の妄念なり。
学道の用心と云うは、我が心にたがえども、師の言、聖教の言葉ならば、暫くそれに随って、本の我見を捨てて改めゆく、この心、学道の故実なり。

我れ当年傍輩の中に我見を執して知識をとぶらいし、我が心に違するをば、心得ずと云って、我見に相叶うをば執して、一生虚しく仏法を会せざりしを見て、知発して、学道は然るべからずと思うて、師の言に随って、暫く道理を得き。その後看経の次に、ある経に云く、「仏法を学せんと思わば、三世の心を相続する事なかれ。」と。知りぬ、先の念を記持せずして、次第に改めゆくべきなり。
書に云く、「忠言は耳にさかう。」と。我が為に忠なるべき言、耳に違するなり。違すれども強て随はば、畢竟じて益あるべきなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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