【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚

投稿日:1235年6月11日 更新日:

示して云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雪峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。ついに互いに悪口に及ぶ。よって誼す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、『我れ汝と同心同学なり。契約浅からず。何が故に我れ人とあらそうに口入れせざる。』浄、揖して恐惶せるのみなり。

その後、彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。そのかみおもえらく、法門論談すら畢竟じて無用なり。況んや諍論は定めて僻事なるべし。我れ争って何の用ぞと思いしかば、無言にして止りぬ。」と。

今の学人も門徒も、その跡を思うべし。学道勤労の志あらば、時光を惜しんで学すべし。何の暇にか人と諍論すべき。畢竟じて自他ともに無益なり。何に況んや世間の事においては、無益の論をすべからず。

君子の力は牛にも勝れたり。しかれども牛と相い争わず。我れ法を知れり、彼れに勝れたりと思うとも、論じて彼を難じ負かすべからず。

もし真実に学道の人ありて法を問わば、惜しむべからず。為に開示すべし。然れども、なおそれも三度問われて一度答うべし。多言閑語する事なかるべし。この咎は身にあり、是れ我れを諫らるると思いしかば、その後人と法門を諍論せず。

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『正法眼蔵随聞記』

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