【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて

投稿日:1235年6月11日 更新日:

また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あながち是れをのみ宗とすべしと思うは非なり。

然ればとて、また破戒放逸なれと云うにあらず。もしまた是のごとく執せば邪見なり、外道なり。ただ仏家の儀式、叢林の家風なれば随順しゆくなり。是れを宗とすと、宋土の寺院に住せし時も、衆僧に見ゆべからず。

実の得道のためにはただ坐禅功夫、仏祖の相伝なり。
是れに依って一門の同学五根房、故用祥僧正の弟子なり、唐土の禅院にて持斎を固く守りて、戒経を終日誦せしをば、教えて捨てしめたりしなり。

懐奘問うて云く、叢林学道の儀式は百丈の清規を守るべきか。然るに、彼にはじめに「受戒護戒をもて先とす。」と見えたり。また今の伝来、相承の根本戒をさづくと見えたり。当家の口訣面授にも、西来相伝の戒を学人に授く。是れ則ち今の菩薩戒なり。然るに今の戒経に、「日夜に是れを誦せよ。」と云えり。何ぞ是れを誦するを捨てしむるや。

師云く、然り。学人最も百丈の規縄を守るべし。然るにその儀式は護戒坐禅等なり。「昼夜に戒を誦し、専ら戒を護持す。」と云う事は、古人の行李に従うて祇管打坐すべきなり。坐禅の時何れの戒か持たれざる、何の功徳か来らざる。古人の行じおける処の行履、皆深き心あり。私の意楽を存ぜずして、ただ衆に従って、古人の行履に任せて行じゆくべきなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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