【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』107、学道の最要は坐禅これ第一なり

投稿日:1235年6月11日 更新日:

示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祇管打坐して他を管ずる事なかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。他事に順ずべからず。

奘問うて云く、打坐と看語とならべて是れを学するに、語録公案等を見るには、百千に一つはいささか心得られざるかと覚ゆる事も出来る。坐禅はそれほどの事もなし。然れどもなお坐禅を好むべきか。

示して云く、公案話頭を見て聊か知覚あるようなりとも、それは仏祖の道にとおざかる因縁なり。無所得、無所悟にて端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。古人も看語、祇管坐禅ともに進めたれども、なお坐をば専ら進めしなり。また話頭を以て悟りを開きたる人ありとも、それも坐の功によりて悟りの開くる因縁なり。

まさしき功は坐にあるべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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