【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』59、世間の女房なんどだにも

投稿日:1235年6月11日 更新日:

ある時、比丘尼云く、「世間の女房なんどだにも、仏法とて学すれば、比丘尼の身には少々の不可ありとも何で叶わざるべきと覚ゆ。如何。」と云いし時、

示して云く、この義然るべからず。在家の女人その身ながら仏法を学んで得る事はありとも、出家の人の出家の心なからんは得べからず。仏法の人をえらぶにはあらず、人の仏法に入らざればなり。出家在家の儀、その心殊なるべし。在家人の出家の心あらば出離すべし。出家人の在家の心あらば二重の僻事なり。用心殊なるべき事なり。

作す事の難きにはあらず。よくする事の難きなり。出離得道の行は、人ごとに心にかけたるに似たれども、よくする人の難きなり。生死事大なり、無常迅速なり。心をゆるくする事なかれ。世をすてば実に世を捨つべきなり。仮名は何にてもありなんとおぼゆるなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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