「 正法眼蔵随聞記 」 一覧

『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。 外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制し ...

『正法眼蔵随聞記』43、真実内徳無うして人に貴びらるべからず

夜話に云く、真実内徳無うして人に貴びらるべからず。 この国の人は真実の内徳をばさぐりえず、外相をもて人を貴ぶほどに、無道心の学人は、即ちあしざまにひきなされて、魔の眷属となるなり。人に貴びられじと思わ ...

『正法眼蔵随聞記』79、世間の人多分云く

また云く、世間の人多分云く、「学道の志あれども世のすえなり、人くだれり。我が根劣なり。如法の修行に堪うべからず。ただ随分にやすきにつきて結縁を思い、他生に開悟を期すべし。」と。 今は云く、この言う事は ...

『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は

示して云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」 また云く、「家に両言有る時は針をも買ふ事なし。家に両言無き時は金をも買うべし。」と。 俗人なお家をもち城を守るに同心ならでは ...

『正法眼蔵随聞記』96、先師全和尚入宋せんとせし時

示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨、重病に沈み、既に死なんとす。 その時この師云く、「我れ既に老病に沈み、死去せんとする事近きにあり。汝一人老病をたすけて、冥路をとぶらうべ ...

『正法眼蔵随聞記』97、世間の人自ら云く

一日示して云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなわず。」と。 我れ思うに、この言は非なり。その心如何。もし聖教等の道理を心得をし、全てその心に違する、非なりと思うか。もし然らば、 ...

『正法眼蔵随聞記』34、今の世、出世間の人

夜話に云く、今の世、出世間の人、多分は善事をなしては、かまえて人に識られんと思い、悪事をなしては人に知られじと思う。これに依って内外不相応の事出来たる。相構えて内外相応し、誤りを悔い、実徳を蔵して、外 ...

『正法眼蔵随聞記』50、衲子の行履旧損の衲衣等を

示して云く、衲子の行履、旧損の衲衣等を綴り補うて捨てざれば物を貪惜するに似たり。旧きをすて、当たるに随ってすぐせば、新しきを貪惜する心あり。二つながら咎あり。いかん。 問うて云く、畢竟じて如何が用心す ...

『正法眼蔵随聞記』98、人の心元より善悪なし

一日雑話の次に云く、人の心元より善悪なし。善悪は縁に随っておこる。仮令、人発心して山林に入る時は、林家はよし、人間はわるしと覚ゆ。また退心して山林を出る時は、山林はわるしと覚ゆ。是れ即ち決定して心に定 ...

『正法眼蔵随聞記』51、父母の報恩等の事

夜話の次に奘問うて云く、父母の報恩等の事、作すべきか。 示して云く、孝順はもっとも用うる所なり。ただし、その孝順に在家出家の別あり。在家は孝経等の説を守りて生をつかう。死につかうる事、世人皆知れり。出 ...

『正法眼蔵随聞記』67、学道の人多分云く

また云く、学道の人、多分云く、もしその事をなさば世人是れを謗ぜんかと。この条甚だ非なり。世間の人何とも謗ずとも、仏祖の行履、聖教の道理にてだにもあらば依行すべし。世人挙って褒るとも、聖教の道理にあらず ...

『正法眼蔵随聞記』99、大恵禅師ある時

示して云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。 医師是れを見て、「大事の物なり。」と云う。 恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」 医云く、「ほとんどあやうかるべし。」 恵云く、「もし死ぬべくは、いよい ...

『正法眼蔵随聞記』36、行者先ず心を調伏しつれば

示して云く、行者先ず心を調伏しつれば、身をも世をも捨つる事は易きなり。ただ言語につき行儀につきて人目を思う。この事は悪事なれば人悪く思うべしとて為さず、我れこの事をせんこそ仏法者と人は見めとて、事に触 ...

『正法眼蔵随聞記』68、某甲老母現在せり

また僧云く、某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとえに某甲が扶持にて度世す。恩愛もことに深し。孝順の志も深し。是れに依っていささか世に順い人に随って、他の恩力をもて母の衣粮にあづかる。もし遁世籠居 ...

『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」 帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。 俗なお是の如し。僧はもっ ...

『正法眼蔵随聞記』54、近代の僧侶

一日請益の次に云く、近代の僧侶、多く世俗に従うべしと云う。思うに然らず。世間の賢すらなお民俗に随う事を穢れたる事と云って、屈原の如きは「皆酔えり。我れは独醒めたり。」とて、民俗に随わずしてついに滄浪に ...

『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり

夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...

『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より

一日示して云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、その業を修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云う。政道天意に叶う時、世清み民康すきなり。故に帝は三更の三点におさ ...

『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実

夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。 仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったり ...

『正法眼蔵随聞記』108、跋語

先師永平奘和尚学地に在りし日、学道の至要聞くに随って記録す。所以に随聞と謂う。雲門室中の玄記のごとく、永平の宝慶記のごとし。今六冊を録集して巻を記し仮名正法眼蔵拾遺分の内に入る。六冊倶に嘉禎年中の記録 ...

『正法眼蔵随聞記』29、人は思い切って命をも捨て

示して云く、人は思い切って命をも捨て、身肉手足をも斬る事は中々せらるるなり。然れば、世間の事を思い、名利執心の為にも、是のごとく思うなり。ただ依り来る時に触れ、物に随って心品を調うる事難きなり。 学者 ...

『正法眼蔵随聞記』77、三覆して後に云え

示して云く、「三覆して後に云え。」と云う心は、おおよそ物を云わんとする時も、事を行わんとする時も、必ず三覆して後に言い行うべし。先儒多くは三たび思いかえりみるに、三たびながら善ならば云い行なえと云うな ...

『正法眼蔵随聞記』15、続高僧伝の中に

一日示して云く、『続高僧伝』の中に、ある禅師の会に一僧あり。金像の仏と、また仏舎利とを崇め用いて、衆寮等にも有って、常に焼香礼拝し恭敬供養す。 有る時禅師の云く、「汝が崇むる処の仏像舎利は、後には汝が ...

『正法眼蔵随聞記』17、人その家に生まれ、その道に入らば

一日示して云く、人その家に生まれ、その道に入らば、先ずその家の業を修すべし、知るべきなり。我が道にあらず、自が分にあらざらん事を知り修するは即ち非なり。 今も出家人として、即ち仏家に入り、僧道に入らば ...

『正法眼蔵随聞記』14、俗の帝道の故実を言うに

示して云く、俗の帝道の故実を言うに云く、「虚襟にあらざれば忠言をいれず。」と。言は、己見を存ぜずして、忠臣の言に随って、道理にまかせて帝道を行なうなり。 衲子の学道の故実もまたかくのごとくなるべし。も ...

『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時

示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。 その時、房中に都て衣食財物等無りき。思 ...

『正法眼蔵随聞記』74、学道の人、悟りを得ざる事は

学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教えたりとも知らざれども、心と云えば念慮知見なりと思い、草木なりと云えば信ぜず。仏と云えば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす ...

『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし

また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。 第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は ...

『正法眼蔵随聞記』82、ある客僧の云く、近代の遁世の法

一日ある客僧の云く、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまえて、後、わづらいなきように支度す。これ小事なりと云えども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来る。今この御様を承り及ぶに、一切その支度なく、 ...

『正法眼蔵随聞記』83、伝へ聞きき、実否を知らざれども

示して云く、伝へ聞きき、実否を知らざれども、故持明院の中納言入道、ある時秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、さぶらひの中に犯人ありけるを、余のさぶらひ沙汰し出してまひいらせたりしに、入道の云く、「是れは我が ...

『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ

一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。ま ...

『正法眼蔵随聞記』73、俗人の云く何人か厚衣を欲せざらん

一日示して云く、俗人の云く、「何人か厚衣を欲せざらん、誰人か重味を貪らざらん。然れども、道を存ぜんと思う人は、山に入り水にあき、寒きを忍び餓えをも忍ぶ。先人くるしみ無きにあらず、是れを忍びて道を守れば ...



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