【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」
帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。

俗なお是の如し。僧はもっともこの心あるべし。慈悲あり、道心ありて愚癡人に謗ぜられそしらるるは苦しかるべからず、無道心にして人に有道と思われん、是れを能々慎むべし。

また示して云く、隋の文帝の云く、「密々の徳を修してあぐるをまつ。」と。言う心は、よき道徳を修してあぐるをまちて民をいつくしうするとなり。僧なお及ばざらん、もっとも用心すべきなり。ただ内々に道業を修せば自然に道徳外に露るべし。自ら道心道徳外に露れ人に知られん事を期せず望まず、ただ専ら仏教に随い祖道に順い行けば、人自ら道徳に帰するなり。

ここに学人の、誤出来るようは、人に貴びられて財宝出来たるを以て道徳あらわれたると自らも思い、人も知るなり。是れ即ち天魔波旬の心につきたると知るべし。もっとも思量すべし。教の中にも、是れをば魔の所為と云うなり。いまだ聞かず、三国の例、財宝に富み、愚人の帰敬を以て道徳と為すべしとは。

道心者と云うは、昔より三国皆貧にして身を苦しめ、つづまやかにして慈あり道あるを真の行者と云うなり。
徳の顕わるると云うも、財宝にゆたかに、供養に誇るを云うにあらず。徳の顕わるるに三重あるべし。先ずは、その人、その道を修するなりと知らるるなり。次には、その道を慕う者出来る。後には、その道を同じく学し同じく行ずるなり。是れを道徳の顕わるると云うなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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