「 正法眼蔵随聞記 」 一覧
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『正法眼蔵随聞記』105、衣食の事兼ねてより思いあてがふ事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月18日, い, 世間の物差しで考えない, 余計なものを貯えずに生きる, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる示して云く、衣食の事、兼ねてより思いあてがう事なかれ。 もし失食絶煙の時、その処にして乞食せん、その人に用事云わんなんど思いたるも、即ち物をたくわえ、邪食にて有るなり。衲子は雲の如く定まれる住処もなく ...
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『正法眼蔵随聞記』58、学道の人身心を放下して
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月02日, か, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 身と心が両方いっしょに道を得る示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。 古人云く、「百尺竿頭上なお一歩を進む。」と。何にも百尺の竿頭に上って足を放たば死ぬべしと思うて、強くとりつく心の有るなり。それを思い切りて一 ...
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『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月18日, か, 仏祖になった人の生き方, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミング, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。 我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に ...
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『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月04日, し, どんな言葉で話せばいいか, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる示して云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雪峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。ついに互いに悪口に及ぶ。よって誼す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、『我 ...
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『正法眼蔵随聞記』60、世人を見るに果報もよく
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月04日, よ, 他人の評価を気にするのはやめよう, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 生あるものに利益を与えることを行う, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 重要な話夜話に云く、世人を見るに果報もよく、家をも起こす人は、皆正直に、人の為にもよきなり。故に家をも持ち、子孫までも絶えざるなり。心に曲節あり人の為にあしき人は、たとひ一旦は果報もよく、家をたもてるようなれ ...
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『正法眼蔵随聞記』76、愚癡なる人は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月19日, く, どんな言葉で話せばいいか, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面また云く、愚癡なる人はその詮なき事を思い云うなり。此につかわるる老尼公、当時いやしげにして有るを恥ずるかにて、ともすれば人に向っては昔上郎にて有りし由を語る。喩えば今の人にさありけりと思われたりとも、 ...
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『正法眼蔵随聞記』61、学道の人は尤も貧なるべし
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月05日, か, ストレスの原因になるもの, 余計なものを貯えずに生きる, 建仁寺-京都府京都市東山区, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット夜話に云く、学道の人は尤も貧なるべし。世人を見るに、財有る人は先ず嗔恚恥辱の二難定って来るなり。財有れば人是れを奪い取らんと欲う。我れは取られじとする時、嗔恚たちまちに起る。あるいは之れを論じて問注対 ...
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『正法眼蔵随聞記』62、宋土の海門禅師
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月06日, そ, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 正法眼蔵随聞記, 評価されることを望まない一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云う僧ありき。この人、得法悟道の人なり。長老にもこえたり。 有る時、夜、方丈に参じて焼香礼拝して云く、「請うらくは師、後堂首座を許せ。 ...
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『正法眼蔵随聞記』47、人多く遁世せざる事は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月22日, ひ, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミング夜話に云く、人多く遁世せざる事は、我身を貪るに似て我身を思わざるなり。是れ即ち遠慮なきなり。また是れ善知識に逢わざるに依るなり。 たとひ名聞を思うとも、仏祖の名を得て古徳後賢是れを聞いて悦ばしめん。た ...
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『正法眼蔵随聞記』32、世人多く善事を成す時は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月07日, よ, 他人の評価を気にするのはやめよう, 分け隔てする心を改める, 外見でその人を判断してはいけない, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、世人多く善事を成す時は人に知られんと思い、悪事を成す時は人に知られじと思うに依って、この心冥衆の心にかなわざるに依って、所作の善事に感応なく、密に作す所の悪事には罰有るなり。己に依って返り ...
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『正法眼蔵随聞記』33、もし人来って用事を云う中に
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月08日, も, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 目の前の人のために出来ることをする, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 重要な話, 頼みごとをされた場合の対処方法夜話に云く、もし人来って用事を云う中に、あるいは人に物を乞い、あるいは訴訟等の事をも云わんとて、一通の状をも所望する事出来有るに、その時、我は非人なり、遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分の事を謂わん ...
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『正法眼蔵随聞記』49、学人は必ずしも死ぬべき事を思うべし
夜話に云く、学人は必ずしも死ぬべき事を思うべし。道理は勿論なれども、たとえばその言は思わずとも、しばらく先ず光陰を徒らにすぐさじと思うて、無用の事をなして徒らに時をすぐさで、詮ある事をなして時をすぐす ...
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『正法眼蔵随聞記』35、学道の人、世情を捨つべきについて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月10日, か, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミング, 自分の考えを改めるべき場面示して云く、学道の人、世情を捨つべきについて重々の用心あるべし。世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨つるなり。能々思量すべきなり。 世を遁れて山林に隠居し、我が重代の家を絶やさず、家門親族の事を思うも ...
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『正法眼蔵随聞記』52、人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月27日, その時その時を大事にする, ひ, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話一日示して云く、人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり。 世間の人、馬より落つる時、いまだ地に落ちざる間に種々の思い起る。身をも損じ、命をも失するほどの大事出来たる時、誰人も才覚念慮を起こすなり。そ ...
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『正法眼蔵随聞記』21、悪口を以て僧を呵嘖し
夜話に云く、悪口を以て僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云うとも、左右なく悪毀る事なかれ。先ずいかにわるしと云うとも、四人已上集会しずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最も帰敬すべき者なり。 ...
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『正法眼蔵随聞記』23、昔、魯の仲連
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
04月28日, む, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 正法眼蔵随聞記夜話に云く、昔、魯の仲連と云う将軍ありて、平原君が国にあって能く朝敵を平らぐ。平原君賞して数多の金銀等を与えしかば、魯の仲連辞して云く、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成すのみ。賞を得て物を取らんとに ...
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『正法眼蔵随聞記』40、故建仁寺僧正の伝をば
夜話に云く、故建仁寺僧正の伝をば顕兼の中納言入道書いたるなり。その時辞する言に云く、「儒者に書かせらるべきなり。その故は、儒者はもとより身を忘れて、幼きより長るまで学問を本とす。故に書いたるものに誤り ...
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『正法眼蔵随聞記』26、昔、智覚禅師と云し人
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月01日, む, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記示して云く、昔、智覚禅師と云し人の発心出家の事、この師は初めは官人なり。富に誇るに正直の賢人なり。有る時、国司たりし時、官銭を盗んで施行す。傍の人、是れを官奏す。帝、聴いて大いに驚きあやしむ。諸臣皆あ ...
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『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月19日, か, ただ一つの事に向き合う, 何を基準に物事を見ているか, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...
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『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月20日, い, 世間の物差しで考えない, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた ...
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『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月27日, そのままを理解する, ただ一つの事に向き合う, ふ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...
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『正法眼蔵随聞記』42、我れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月17日, ただ一つの事に向き合う, ひたすら坐禅することの重要性, わ, 中国の寺院の様子, 正法眼蔵随聞記一日示して云く、我れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧の道者にてありしが、我れに問うて云く、「何の用ぞ。」 云く、「郷里に帰って人を化せん。」 僧云く、「何の用ぞ。」 云く、「利生の ...
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『正法眼蔵随聞記』86、俗人の云く、財はよく身を害す
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月29日, そ, 仏祖になった人の生き方, 徳が外にあらわれるということ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる一日示して云く、俗人の云く、「財はよく身を害す。昔もこれあり、今もこれあり。」と。 言う心は、昔一人の俗人あり。一人の美女をもてり。威勢ある人これを請う。かの夫、是れを惜しむ。終に軍を興して囲めり。彼 ...
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『正法眼蔵随聞記』87、昔、国皇あり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月30日, どんな聞き方をすればいいか, どんな言葉で話せばいいか, む, 正法眼蔵随聞記, 目の前の人のために出来ることをする示して云く、昔、国皇あり。国をおさめて後、諸臣下に告ぐ。「我れよく国を治む。賢なり。」 諸臣皆云く、「帝は甚だよく治む。」 一りの臣ありて云く、「帝、賢ならず。」 帝の云く、「故如何。」 臣が云く、「 ...
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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月08日, い, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。 この言葉、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵対 ...
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『正法眼蔵随聞記』22、故鎌倉の右大将
また物語に云く、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有りし時、内府の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人在りき。 その時、大納言のおほせて云く、「是れを制すべし。」と。 大将の云く、「六波羅におほせらる ...
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『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月01日, そ, 余計なものを貯えずに生きる, 分け隔てする心を改める, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミング一日僧問うて云く、「智者の無道心なると、無智の有道心なると、始終如何。」 示して云く、無智の道心、始終退する事多し。智慧ある人、無道心なれどもついに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先ず ...
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『正法眼蔵随聞記』81、楊岐山の会禅師
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月24日, お釈迦様(ブッダ), ひたすら坐禅することの重要性, よ, 中国の寺院の様子, 楊岐方会, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット示して云く、楊岐山の会禅師、住持の時、寺院旧損してわづらい有りし時に、知事申して云く、「修理有るべし。」 会云く、「堂閣破れたりとも露地樹下には勝れたるべし。一方破れてもらば一方のもらぬ所に居して坐禅 ...
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『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月28日, そのままを理解する, た, 中国の寺院の様子, 分け隔てする心を改める, 南嶽懐譲, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット, 馬祖道一一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろえて 、あしきをさけ、よきをとって飯等にする事あり。 是れをある禅師云く、「たとひ我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろうる事なかれ。」と、頌に作って戒めたり ...
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『正法眼蔵随聞記』71、古人云く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる
一日示して云く、古人云く、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」と。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。 昔、倶胝和尚に使えし一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見へず、覚えざれ ...
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『正法眼蔵随聞記』90、ふるく云く、君子の力は牛に勝れたり
示して云く、ふるく云く、「君子の力は牛に勝れたり。しかれども、牛とあらそわず。」と。 今の学人、我れ智恵を学人に勝れて存ずとも、人と諍論を好む事なかれ。また悪口をもて人を云い、怒目をもて人を見る事なか ...
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『正法眼蔵随聞記』107、学道の最要は坐禅これ第一なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月20日, か, ひたすら坐禅することの重要性, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祇管打坐して他を管ず ...