【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』32、世人多く善事を成す時は

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、世人多く善事を成す時は人に知られんと思い、悪事を成す時は人に知られじと思うに依って、この心冥衆の心にかなわざるに依って、所作の善事に感応なく、密に作す所の悪事には罰有るなり。己に依って返りて自ら思わく、善事には験なし、仏法の利益なしなんど思えるなり。是れ即ち邪見なり。もっとも改むべし。

人も知らざる時は潜に善事をなし、悪事を成して後は発露して咎を悔ゆ。是のごとくすれば即ち密々になす所の善事には感応あり、露れたる悪事は懺悔せられて罪滅する故に、自然に現益も有るなり。当果をも知るべし。

ここに有る在家人、来って問うて云く、「近代在家人、衆僧を供養し仏法を帰敬するに多く不吉のこと出来るに因って、邪見起りて三宝に帰敬せじと思う、如何。」と。

答えて云く、即ち衆僧、仏法の咎にはあらず。即ち在家人の自らが誤りなり。その故は、仮令人目ばかり持戒持斎の由現ずる僧をば貴くし、供養し、破戒無慚の僧の飲酒肉食等するをば不当なりと思うて供養せず。この差別の心、実に仏意に背けり。因って帰敬の功もむなしく、感応なきなり。戒の中にも処々にこの心を誡めたり。僧と云わばは、徳の有無を択ばず、ただ供養すべきなり。殊にその外相を以て内徳の有無を定むべからず。

末世の比丘、いささか外相尋常なる処と見ゆれども、また是れに勝りたる悪心も悪事もあるなり。よって、好き僧、悪しき僧を差別し思う事無くて、仏弟子なれば此方を貴びて、平等の心にて供養帰敬もせば、必ず仏意に叶って、利益も速疾にあるべきなり。

また冥機冥応、顕機顕応等の四句ある事を思うべし。また現生後報等の三時業の事もあり。此等の道理能々学すべきなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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