示して云く、俗の帝道の故実を言うに云く、「虚襟にあらざれば忠言をいれず。」と。言は、己見を存ぜずして、忠臣の言に随って、道理にまかせて帝道を行なうなり。
衲子の学道の故実もまたかくのごとくなるべし。もし己見を存ぜば、師の言耳に入らざるなり。師の言耳に入らざれば、師の法を得ざるなり。
また、ただ法門の異見を忘るるのみにあらず、また世事を返して、飢寒等を忘れて、一向に身心を清めて聞く時、親しく聞くにてあるなり。かくのごとく聞く時、道理も不審も明らめらるるなり。
真実の得道と云うも、従来の身心を放下して、ただ直下に他に随い行けば、即ち実の道人にてあるなり。これ第一の故実なり。
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『正法眼蔵随聞記』
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