「 どんな言葉で話せばいいか 」 一覧

『典座教訓』14、修行は日々の足下にある

知らずんばあるべからず。想うべし莆菜能く聖胎を養い、能く道芽を長ずることを。賤しと為すべからず、軽ろしと為すべからず。人天の導師、莆菜の化益を為すべき者なり。又た衆僧の得失を見るべからず、衆僧の老少を ...

『正法眼蔵随聞記』11、学道の人、参師聞法の時

示して云く、学道の人、参師聞法の時、能々窮めて聞き、重ねて聞いて決定すべし。問うべきを問わず、言うべきを言わずして過ごしなば、我が損なるべし。 師は必ず弟子の問うを待って発言するなり。心得たる事をも、 ...

『正法眼蔵随聞記』8、人法門を問う

一日示して云く、人、法門を問う、あるいは修行の方法を問うことあらば、衲子はすべからく実を以て是れを答うべし。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心末入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩 ...

『正法眼蔵随聞記』3、学道の人、衣食を貪る事なかれ

示して云く、学道の人、衣食を貪る事なかれ。人々皆食分あり、命分あり。非分の食命を求むとも来るべからず。況んや学仏道の人には、施主の供養あり、常の乞食に比すべからず。常住物これあり、私の営みにもあらず。 ...

『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少

雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会婬色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心をも遊戲し、徒然も慰むと云うとも、僧はもっとも禁断すべき事なり。俗なおよ ...

『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめら ...

『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。 外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制し ...

『正法眼蔵随聞記』63、唐の太宗即位の後

一夜示して云く、唐の太宗即位の後、旧き殿に栖み給えり。破損せる間、湿気あがり、侵して玉躰侵さるべし。臣下作造るべき由を奏しければ、帝の云く、「時、農節なり。民定めて愁あるべし。秋を待って造るべし。湿気 ...

『正法眼蔵随聞記』77、三覆して後に云え

示して云く、「三覆して後に云え。」と云う心は、おおよそ物を云わんとする時も、事を行わんとする時も、必ず三覆して後に言い行うべし。先儒多くは三たび思いかえりみるに、三たびながら善ならば云い行なえと云うな ...

『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし

また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。 第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は ...

『正法眼蔵随聞記』76、愚癡なる人は

また云く、愚癡なる人はその詮なき事を思い云うなり。此につかわるる老尼公、当時いやしげにして有るを恥ずるかにて、ともすれば人に向っては昔上郎にて有りし由を語る。喩えば今の人にさありけりと思われたりとも、 ...

『正法眼蔵随聞記』83、伝へ聞きき、実否を知らざれども

示して云く、伝へ聞きき、実否を知らざれども、故持明院の中納言入道、ある時秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、さぶらひの中に犯人ありけるを、余のさぶらひ沙汰し出してまひいらせたりしに、入道の云く、「是れは我が ...

『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚

示して云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雲峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。ついに互いに悪口に及ぶ。よって誼す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、『我 ...

『正法眼蔵随聞記』21、悪口を以て僧を呵嘖し

夜話に云く、悪口を以て僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云うとも、左右なく悪毀る事なかれ。先ずいかにわるしと云うとも、四人已上集会しずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最も帰敬すべき者なり。 ...

『正法眼蔵随聞記』87、昔、国皇あり

示して云く、昔、国皇あり。国をおさめて後、諸臣下に告ぐ。「我れよく国を治む。賢なり。」 諸臣皆云く、「帝は甚だよく治む。」 一りの臣ありて云く、「帝、賢ならず。」 帝の云く、「故如何。」 臣が云く、「 ...

『正法眼蔵随聞記』90、ふるく云く、君子の力は牛に勝れたり

示して云く、ふるく云く、「君子の力は牛に勝れたり。しかれども、牛とあらそわず。」と。 今の学人、我れ智恵を学人に勝れて存ずとも、人と諍論を好む事なかれ。また悪口をもて人を云い、怒目をもて人を見る事なか ...

『正法眼蔵随聞記』24、たとい我れ道理を以て道うに

法談の次に示して云く、たとい我れ道理を以て道うに、人僻事を言うを、理を攻めて言い勝つは悪きなり。 次に、我れは現に道理と思えども、「我が非にこそ。」と言って負けてのくもあしばやなるとと言うなり。 ただ ...

『法句経』ダンマパダ【 第25章 修行僧 】

360 眼について慎しむのは善い。耳について慎しむは善い。鼻について慎しむのは善い。舌について慎しむのは善い。 361 身について慎むのは善い。ことばについて慎しむのは善い。心について慎しむのは善い。 ...

『法句経』ダンマパダ【 第22章 地獄 】

306 いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、この両者は死後にはひとしくなる、来世では行ないの下劣な業をもった人々なのであるから。 307 袈裟を頭から纒っ ...

『法句経』ダンマパダ【 第19章 道を実践する人 】

256 あらあらしく事がらを処理するからとて、公正な人ではない。賢明であって、義と不義との両者を見きわめる人。 257 粗暴になることなく、きまりにしたがって、公正なしかたで他人を導く人は、正義を守る ...

『法句経』ダンマパダ【 第17章 怒り 】

221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。 222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人、 ...

『法句経』ダンマパダ【 第16章 愛するもの 】

209 道に違うたことになじみ、道に順ったことにいそしまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。 210 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する ...

『法句経』ダンマパダ【 第10章 暴力 】

129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 130 すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。已が身 ...

スッタニパータ【第2 小なる章】3、恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って、「われはあなたの友である」と言いながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人、かれを「この人はわが友に非ず」と知るべきである。 254 諸々の友人に対して、実行がと ...

スッタニパータ【第2 小なる章】6、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い、清らかな行い、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても、 275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】1、出家

【 第3 大いなる章 】 1、出家 405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。 406 「この在家の生活 ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】3、みごとに説かれたこと

 わたしが聞いたところによると、ある時尊き師ブッダは、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。そのとき師は諸々の道の人に呼びかけられた、「修行僧たちよ」と。「尊き師 ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ

 わたしか聞いたところによると、ある時尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。そのとき修行僧コーカーリヤは師のおられるところに赴いた。そうして、 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】3、悪意についての八つの詩句

780 実に悪意をもって他人を誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って他人を誹る人々もいる。誹ることばが起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとにも心の荒むことがない。 7 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】8、パスーラ

824 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。 825 かれらは ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】12、並ぶ応答 ─ 小篇

878 世の学者たちはめいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、みずから真理への熟達者であると称して、さまざまに論ずる。「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】16、サーリプッタ

955 サーリプッタさんが言った、 「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。このようにことば美わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来りたもうたことを。 956 眼ある人(ブ ...



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