【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第10章 暴力 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

129 全ての者は暴力におびえ、全ての者は死をおそれる。自身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

130 全ての者は暴力におびえる。全ての生きものにとって生命は愛しい。自身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

131 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せを求めていても、死後には幸せが得られない。

132 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せを求めているが、死後には幸せが得られる。

133 荒々しい言葉を言うな。言われた人々はあなたに言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復があなたの身に至るであろう。

134 壊れた鐘のように、声を荒げないならば、あなたは安らぎに達している。あなたはもはや怒り罵ることがないからである。

135 牛飼いが棒をもって牛どもを牧場に駆り立てるように、老いと死とは生きとし生ける者どもの寿命を駆り立てる。

136 しかし愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。火に焼きこがされた人のように。

137~140 手むかうことなく罪咎の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合の内のどれかに速やかに出会うであろう、(1)激しい痛み、(2)老衰、(3)身体の傷害、(4)重い病い、(5)乱心、(6)国王からの災い、(7)恐ろしい告げ口、(8)親族の滅亡と、(9)財産の損失と、(10)その人の家を火が焼く。この愚かな者は、身やぶれて後に、地獄に生まれる。

141 裸の行も、髻(まげ)に結うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に塗るのも、うずくまって動かないのも、疑いを離れていない人を浄めることはできない。

142 身の装いはどうあろうとも、行ない静かに、心おさまり、身を整えて、慎み深く、行ない正しく、生きとし生けるものに対して暴力を用いない人こそ、バラモンとも、道の人とも、また托鉢遍歴僧ともいうべきである。

143 みずから恥じて自己を制し、良い馬が鞭を気にかけないように、世の非難を気にかけない人が、この世に誰か居るだろうか?

144 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励め。信仰により、戒しめにより、励みにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、知慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除け。

145 水道をつくる人は水を導き、矢をつくる人は矢を整え、大工は木材を整え、慎しみ深い人々は自己を整える。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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