【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第9章 悪 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

116 善を為すのを急げ。悪から心を退けよ。善を為すのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。

117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。

118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。

119 まだ悪い報いが熟しない間は、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人は災いに遭う。

120 まだ善い報いが熟しない間は、善人でも災いに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福に遭う。

121 「その報いはわたしには来ないであろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがて災いに満たされる。

122 「その報いはわたしには来ないであろう」と思って、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でも満たされる。気を付けている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳に満たされる。

123 同行する仲間が少ないのに多くの財を運ばねばならぬ商人が、危険な道を避けるように、また生きたいと願う人が毒を避けるように、人は諸々の悪を避けよ。

124 もしも手に傷が無いならば、その人は手で毒をとり去ることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪を為さない人には、悪の及ぶことがない。

125 汚れの無い人、清くて咎のない人をそこなう者がいるならば、その災いは、かえってその浅はかな人に至る。風にさからって細かい塵を投げると、その人に戻って来るように。

126 ある人々は人の胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に墜ち、行ないの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。

127 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、悪業から脱れることのできる場所は無い。

128 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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