「 分け隔てする心を改める 」 一覧

『典座教訓』20、天地の寸法は隔たりがない

いわゆる、大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にし、偏無く黨無き心なり。両を提げて軽しと為ず、鈞を扛げて重しとすべからず。春声に引かれて春沢に游ばず。秋色を見ると雖も更に秋心無く、四運を一景に競い ...

『典座教訓』13、まず心をこめて行ずること

誠に夫れ当職、先聞現証、眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的と謂うべきか。縦い粥飯頭の名を忝うせば、心術も亦之に同ずべし、『禅苑清規』に云く、「二時の粥飯、理すること合に精豊なるべし。四事の供すべ ...

『典座教訓』8、ことに見合った細かい心配り

此の如く参来し参去して、如し纎毫の疑猜有らば、他の堂司、及び諸寮の頭首、寮主、寮首座等に問い、疑を銷し来って便ち商量すらく、一粒米を喫するに、一粒米を添え、一粒米を分ち得れば、却て両箇の半粒米を得。三 ...

『典座教訓』6、よし悪しの隔てなく授かる心

いわゆる縦い莆菜羮を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。縦い頭乳羮を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。既に耽著無し、何ぞ悪意有らん。然れば則ち、麁に向うと雖も全く怠慢無く、細に逢うと雖も弥精 ...

『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし

一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心 ...

『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大恵禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...

『正法眼蔵随聞記』63、唐の太宗即位の後

一夜示して云く、唐の太宗即位の後、旧き殿に栖み給えり。破損せる間、湿気あがり、侵して玉躰侵さるべし。臣下作造るべき由を奏しければ、帝の云く、「時、農節なり。民定めて愁あるべし。秋を待って造るべし。湿気 ...

『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は

示して云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」 また云く、「家に両言有る時は針をも買ふ事なし。家に両言無き時は金をも買うべし。」と。 俗人なお家をもち城を守るに同心ならでは ...

『正法眼蔵随聞記』60、世人を見るに果報もよく

夜話に云く、世人を見るに果報もよく、家をも起す人は、皆正直に、人の為にもよきなり。故に家をも持ち、子孫までも絶えざるなり。心に曲節あり人の為にあしき人は、たとひ一旦は果報もよく、家をたもてるようなれど ...

『正法眼蔵随聞記』32、世人多く善事を成す時は

夜話に云く、世人多く善事を成す時は人に知られんと思い、悪事を成す時は人に知られじと思うに依って、この心冥衆の心にかなわざるに依って、所作の善事に感応なく、密に作す所の悪事には罰有るなり。己に依って返り ...

『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は

夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた ...

『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると

一日僧問うて云く、「智者の無道心なると、無智の有道心なると、始終如何。」 示して云く、無智の道心、始終退する事多し。智慧ある人、無道心なれどもついに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先ず ...

『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて

一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろえて 、あしきをさけ、よきをとって飯等にする事あり。 是れをある禅師云く、「たとひ我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろうる事なかれ。」と、頌に作って戒めたり ...

『正法眼蔵随聞記』59、世間の女房なんどだにも

ある時比丘尼云く、「世間の女房なんどだにも、仏法とて学すれば、比丘尼の身には少々の不可ありとも何で叶わざるべきと覚ゆ。如何。」と云いし時、 示して云く、この義然るべからず。在家の女人その身ながら仏法を ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】5、最上についての八つの詩句

796 世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のも」のであると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。 7 ...



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