正法眼蔵随聞記

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『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知って接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなわしむ。衆の少なきにはばかれる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽はわずかに六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云いき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹あに利鈍...
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『正法眼蔵随聞記』11、学道の人、参師聞法の時

示して云く、学道の人、参師聞法の時、能々窮めて聞き、重ねて聞いて決定すべし。問うべきを問わず、言うべきを言わずして過ごしなば、我が損なるべし。師は必ず弟子の問うを待って発言するなり。心得たる事をも、幾度も問うて決定すべきなり。師も、弟子によくよく心得たるかと問うて、云い聞かすべきなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではな...
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『正法眼蔵随聞記』10、唐の太宗の時

示して云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ず。帝これを得て喜ばずして、自ら思わく、「たとひ千里の馬なりとも、独り騎って千里に行くとも、従う臣なくんばその詮なきなり。」と。ちなみに魏徴を召してこれを問う。「帝の心と同じ。」と。依って彼の馬に金帛を負せて還さしむ。今は云く、帝なお身の用ならぬ物をば持たずして是れを還す。況んや衲子は衣鉢の外の物、決定して無用なるか。無用の物、是れを貯えて何かせん。俗なお一道を専らにする者は、田苑荘園等を持する事を要とせず。ただ一切の国土の人を百姓眷属とす。地相法橋子息に遺嘱するに、「ただ道を専らに励むべし。」と云えり。況んや仏子は、万事を捨て、専ら一事をたしなむ...
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『正法眼蔵随聞記』9、当世学道する人

示して云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先ずよく領解する由を知られんと思うて、答の言のよからん様を思うほどに、聞くことは耳を過ごすなり。詮ずる処道心なく、吾我を存ずる故なり。ただすべからく先ず我れを忘れ、人の言わん事をよく聞いて、後に静かに案じて、難もあり不審もあらば、遂っても難じ、心得たらば遂って帰すべし。当座に領する由を呈せんとする、法をよくも聞かざるなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字...
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『正法眼蔵随聞記』8、人法門を問う

一日示して云く、人、法門を問う、あるいは修行の方法を問うことあらば、衲子はすべからく実を以て是れを答うべし。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心末入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩薩戒の意は、たとひ小乗の器、小乗の道を問うとも、ただ大乗を以て答うべきなり。如来一期の化儀も尓前方便の権教は実に無益なり。ただ最後実教のみ実に益あるなり。しかれば、他の得不得を論ぜず、ただ実を以て答うべきなり。もしこの中の人を見ば、実徳を以て是れをうる事を得べし。仮徳を以てうる事を得べし。外相仮徳を以て是れを見るべからず。昔、孔子に一人有って来帰す。孔子問うて云く、「汝何を以てか来って我れに帰する...
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『正法眼蔵随聞記』7、海中に龍門と云う処あり

示して云く、海中に龍門と云う処あり。浪しきりにうつなり。諸の魚、波の処を過ぐれば必ず龍となるなり。故に龍門と云うなり。今は云く、彼の処、浪も他処に異ならず、水も同じくしわはゆき水なり。しかれども定まれる不思議にて、魚この処を渡れば必ず龍と成るなり。魚の鱗もあらたまらず、身も同じ身ながら、たちまちに龍となるなり。衲子の儀式も是れをもて知るべし。処も他所に似たれども、叢林に入れば必ず仏となり祖となるなり。食も人と同じく食し、同じく服し、飢を除き寒を禦ぐ事も同じけれども、ただ頭を円にし衣を方にして斎粥等にすれば、たちまちに衲子となるなり。成仏作祖も遠く求むべからず。ただ叢林に入ると入らざるとなり。龍...
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『正法眼蔵随聞記』5、古人云く、聞くべし見るべし

一日示して云く、古人云く、「聞くべし、見るべし。」と。また云く、「経ずんば見るべし、見ずんば聞くべし。」と。言うところは、聞かんよりは見るべし、見んよりは経べし、いまだ経ずんば見るべし。いまだ見ずんば聞くべしとなり。また云く、学道の用心、本執を放下すべし。身の威儀を改むれば、心も随って転ずるなり。先ず律儀の戒行を守らば、心も随って改まるべきなり。宋土には俗人等の常の習いに、父母の孝養の為に、宗廟にして各々集会して泣くまねをするほどに、終には実に泣くなり。学道の人も、初めより道心なくとも、ただ強いて道を好み学せば、終には真の道心も起るべきなり。初心の学道の人は、ただ衆に随って行道すべきなり。修行...
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『正法眼蔵随聞記』4、学道の人、衣食に労する事なかれ

雑話の次、示して云く、学道の人、衣食に労することなかれ。この国は辺地小国なりといえども、昔も今も顕密二道に名を得、後代にも人に知られたる人、いまだ一人も衣食に豊なりと云う事を聞かず。皆貧を忍び他事を忘れて一向にその道を好む時、その名をも得るなり。いわんや学道の人は、世度を捨てて走らず。何としてか豊かなるべき。大宋国の叢林には、末代なりといえども、学道の人千万人の中に、あるいは遠方より来り、あるいは郷土より出来るも、多分皆貧なり。しかれども愁えとせず、ただ悟道の未だしき事を愁えて、あるいは桜上もしくは閣下に、考妣を喪せるが如くにして道を思うなり。まのあたり見しは、西川の僧、遠方より来りし故に所持...
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『正法眼蔵随聞記』3、学道の人、衣食を貪る事なかれ

示して云く、学道の人、衣食を貪る事なかれ。人々皆食分あり、命分あり。非分の食命を求むとも来るべからず。況んや学仏道の人には、施主の供養あり、常の乞食に比すべからず。常住物これあり、私の営みにもあらず。果蓏(くわら)・乞食・信心施の三種の食、皆是れ清浄食なり。その余の田商士工の四種は、皆不浄邪命の食なり。出家人の食分にあらず。昔、一人の僧ありき。死して冥界に行きしに、閻王の云く、「この人、命分いまだつきず。帰すべし。」と云いしに、ある冥官云く、「命分ありといえども、食分すでに尽きぬ。」王の云く、「荷葉を食せしむべし。」と。しかりしより、蘇りて後、人中の食物食する事をえず、ただ荷葉のみを食して残命...
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『正法眼蔵随聞記』2、我れは病者なり、非器なり

示して云く、ある人の云く、「我れ病者なり、非器なり、学道にたえず。法門の最要を聞きて独住隠居して、性をやしない、病をたすけて、一生を終えん。」と云うに、示して云く、先聖必ずしも金骨にあらず、古人豈皆上器ならんや。滅後を思えばいくばくならず、在世を考うるに人々みな俊なるにあらず。善人もあり、悪人もあり、比丘衆の中に不可思議の悪行するもあり、最下品の器量もあり。しかれども、卑下して道心をおこさず、非器なりと云って学道せざるなし。今生もし学道修行せずは、何れの生にか器量の物となり、不病の者とならん。ただ身命を顧りみず発心修行する、学道の最要なり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは...
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『正法眼蔵随聞記』13、仏々祖々、皆本は凡夫なり

示して云く、仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍もあり、癡もあり。然れども皆、改めて知識に従い、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずんば何の時をか待つべき。好むには必ず得べきなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実で...
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『正法眼蔵随聞記』12、道者の用心

示して云く、道者の用心、常の人に殊なる事あり。故建仁寺の僧正在世の時、寺絶食す。ある時一人の檀那請じて絹一疋施す。僧正悦びて自ら取って懐中して、人にも持たせずして、寺に返って知事に与へて云く、「明旦の浄粥等に作さるべし。」然るに俗人のもとより所望して云く、「恥がましき事有って絹二三疋入る事あり。少々にてもあらば給はるべき」よしを申す。僧正則ち先の絹を取り返して即ち与へぬ。時にこの知事の僧も衆僧も思いの外に不審す。後に僧正自ら云く、「各々、僻事にぞ思わるらん。しかれども、我れ思わくは、衆僧面々仏道の志ありて集れり。一日絶食して餓死するとも、苦しかるべからず。俗の世に交われるが、差し当たって事闕ら...
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『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する僧をばあるいは拳を以て打ち、あるいはくつをぬいで打ち、恥しめ勧めて眠りを覚す。なお眠る時は照堂に行き、鐘を打ち、行者を召して蝋燭を燃しなんどして卒時に普説して云く、「僧堂裏に集まり居して徒らに眠りて何の用ぞ。然れば何ぞ出家入叢林する。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をやすくする。王道を収め忠節を尽くし、乃至庶民は田を開き鍬をとるまでも、何人か身をやすくして世を過ごす。是れをのがれて叢林に入って虚く...
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『正法眼蔵随聞記』25、無常迅速なり、生死事大なり

示して云く、無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間、業を修し学を好まんには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。文筆詩歌等その詮なきなり。捨つべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなお多般を兼ね学すべからず。況んや教家の顕密の聖教、一向にさしおくべきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。一事を専らにせん、鈍根劣器のものかなうべからず。況んや多事を兼ねて心想を調えざらん、不可なり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集...
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『正法眼蔵随聞記』57、得道の事は心をもて得るか

また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。教家等にも「身心一如」と云って、「身を以て得」とは云えども、なお「一如の故に」と云う。正しく身の得る事はたしかならず。今我が家は、身心ともに得るなり。その中に、心をもて仏法を計校する間は、万劫千生にも得べからず。心を放下して、知見解会を捨つる時、得るなり。見色明心、聞声悟道の如きも、なお身を得るなり。然れば、心の念慮知見を一向捨てて、只管打坐すれば、今少し道は親しみ得るなり。然れば道を得る事は、正しく身を以て得るなり。是れによりて坐を専らにすべしと覚ゆるなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するもので...
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『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して

夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ぬれば一事をも成すべからず。一事を専らにせんすら本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努々学人一事を専らにすべし。奘問うて云く、もし然らば、何事いかなる行か、仏法に専ら好み修すべき。師云く、機に随い根に随うべしと云えども、今祖席に相伝して専らする処は坐禅なり。この行、能く衆機を兼ね、上中下根等しく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の会下にしてこの道理を聞いて後、昼...
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『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて

一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと聞こえたり。もし故実用心の存ずべきようありや、如何。」示して云く、しかあり。有智高才を須いず霊利弁聡に頼らず。実の学道あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすすむ。全く多聞高才を用いざるが故に下々劣器ときらうべからず。実の学道はやすかるべきなり。しかあれども、大宋国の叢林にも、一師の会下に数百千人の中に、実の得道得法の人はわずか一二なり。しかあれば、故実用心もあるべき事なり。今これを案ずるに、志の至る...
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『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少

雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会婬色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心をも遊戲し、徒然も慰むと云うとも、僧はもっとも禁断すべき事なり。俗なおよき人、実しき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時出来らぬ事なり。ただ乱酔放逸なる時の談なり。況んや僧は、専ら仏道を思うべし。希有異躰の乱僧の所言なり。宋土の寺院なんどには、惣て雑談をせざれば、左右に及ばず。我が国も、近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも是の如き言語出来らず。滅後も在世の門弟子等少々残り留まりし時は、一切に言はざりき。近ごろ七八年より以来、今出の若人達時々談ずるなり。存...
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『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて

また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あながち是れをのみ宗とすべしと思うは非なり。然ればとて、また破戒放逸なれと云うにあらず。もしまた是のごとく執せば邪見なり、外道なり。ただ仏家の儀式、叢林の家風なれば随順しゆくなり。是れを宗とすと、宋土の寺院に住せし時も、衆僧に見ゆべからず。実の得道のためにはただ坐禅功夫、仏祖の相伝なり。是れに依って一門の同学五根房、故用祥僧正の弟子なり、唐土の禅院にて持斎を固く守りて、戒経を終日誦せしをば、教えて捨...
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『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし

一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心に信心をもて敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり。破戒無慚の僧なれば、疎相麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を被るなり。しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像・経巻・僧侶なり。故に帰敬すれば益あり、不信なれば罪を受くるなり。何に希有に浅増くとも、三宝の境界をば恭敬すべきなり。禅僧は善を修せず功徳を要せずと云って悪行を好む、きわめて僻事なり。先規いまだ是の如くの悪行を好む事を聞かず。丹...
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『正法眼蔵随聞記』18、広学博覧はかなうべからざる事なり

示して云く、広学博覧はかなうべからざる事なり。一向に思い切って、留まるべし。ただ一事について用心故実をも習い、先達の行履をも尋ねて、一行を専ら励みて、人師先達の気色すまじきなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。『正法眼蔵随聞記』<< 戻る
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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかわれて強いて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理に為すべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代わりに善果を得んと思う事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかえりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずる事なかれ。先証皆是の如し。心に願いて求むる事なければ即ち大安楽なり。世間の人にまじわ...
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『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大慧禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。信心銘に云く、「至道かたき事なし、ただ揀択を嫌う。」と。揀択の心を放下しつれば、直下に承当するなり。揀択の心を放下すと云うは、我を離るるなり。いわゆる我が身仏道をならん為に仏法を学する事なかれ。ただ仏法の為に仏法を行じゆくなり。たとひ千経万論を学し得、坐禅床をやぶるとも、この心無くは、仏祖の道を学し得べからず。ただすべからく身心を仏法の中に放下して、他に随うて旧見なければ、即ち直下に承当するなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(は...
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『正法眼蔵随聞記』70、学人第一の用心は先ず我見を離るべし

また示して云く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離るとは、この身を執すべからず。たとひ古人の語話を窮め、常坐鉄石の如くなりと雖も、この身に著して離れざらんは、万劫千生仏祖の道を得べからず。何に況んや権実の教法、顕密の聖教を悟得すと雖も、この身を執する之心を離れずは、徒らに他の宝を数えて自ら半銭之分なし。ただ請うらくは学人静坐して道理を以てこの身之始終を尋ぬべし。身躰髪膚は父母之二滴、一息に駐まりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を以ての故にか身を執せんや。況んや法を以て之れを見れば十八界之聚散、何の法をか定めて我身とせん。教内教外別なりと雖も、我身之始終不可得なる事、之れを以て...
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『正法眼蔵随聞記』103、古人云く知因識果の知事に属して

示して云く、古人云く、「知因識果の知事に属して、院門の事全て管ぜず。」と。言う心は、寺院の大小の事、すべからく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。また云く、「良田万頃よりも薄芸身に従うるにはしかず。」「施恩は報をのぞまず、人に与えておうて悔ゆる事なかれ。」「口を守る事鼻の如くすれば、万禍及ばず。」と云えり。「行堅き人は自ら重んぜらる。才高き人は自ら伏せらる。」「深く耕して浅く種うる、なお天災あり。自ら利して人を損ずる、豈果報なからんや。」学道の人、話頭を見る時、目を近づけ力をつくして能々是れを看るべし。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありませ...
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『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめられければ、是れ第一の美言と覚ゆるなり。また大宋宏智禅師の会下、天童は常住物千人の用途なり。然れば、堂中七百人、堂外三百人にて千人につもる常住物なるによりて、長老の住したる間、諸方の僧雲集して堂中千人なり。その外五、六百人ある間、知事、宏智に訴え申すに云く、「常住物は千人の分なり。衆僧多く集まって用途不足なり。まげてはなたれん。」と申ししかば、宏智云く、「人々皆口あり。汝が事に干らず、歎く事なかれ」...
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『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ

示して云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光、徒らに過ごす事なかれ。」と。学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。しばらく存ずる間に余事を管ずる事なく、ただすべからく道を学すべし。今の時の人、あるいは父母の恩捨て難しと云い、あるいは主君の命背き難しと云い、あるいは妻子の情愛離れ難しと云い、あるいは眷属等の活命我れを存じ難しと云い、あるいは世人謗つつべしと云い、あるいは貧しうして道具調え難しと云い、あるいは、非器にして学道にたえじと云う。是のごとき等の世情を巡らして、主君父母をも離れず、妻子眷属をもすてず、世情にしたがい、財色...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふ事なかれ。露命のしばらく存ぜる間、ただ仏道を思うて余事を事とする事なかれ。ある人問うて云く、「名利の二道は捨離し難しと云えども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべからず。故に是れを捨つ。衣粮の二事は小縁なりと云えども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是れは上根の所行、また是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にその労なし。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶えたり、...
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『正法眼蔵随聞記』48、古人云く朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

夜話に云く、古人云く、「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」と。今の学道の人、この心あるべきなり。広劫多生の間、幾回か徒らに生じ、徒らに死せし。まれに人界に生まれて、たまたま仏法に逢う時、何にしても死に行くべき身を、心ばかりに惜しみ持つとも叶うべからず。遂に捨行く命を、一日片時なりとも仏法のため捨てたらば、永劫の楽因なるべし。後の事、明日の活計を思うて捨つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、あたら日夜を過ごすは口惜しき事なり。ただ思い切って、明日の活計なくは飢え死にもせよ、寒え死にもせよ、今日一日道を聞いて仏意に随って死なんと思う心を先ず発すべきなり。その上に道を行じ得ん事は一定なり。この...
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『正法眼蔵随聞記』66、学道の人は先ずすべからく貧なるべし

一日僧来って学道之用心を問う次に示して云く、学道の人は先ずすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失う。在家学道の者、なお財宝にまとわり、居所を貪り、眷属に交われば、たとひその志ありと云えども障道の縁多し。古来俗人の参ずる多けれども、その中によしと云えども、なお僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財宝を持たず、居所を思わず、衣食を貪らざる間、一向に学道す。是れは分々皆得益有るなり。その故は、貧なるが道に親しきなり。龐公は俗人なれども僧におとらず禅席に名を留めたるは、かの人参禅のはじめ、家の財宝を以ちて出でて海に沈めんとす。人之れを諌めて云く、「人にも与へ、仏事にも用うべし。」他に対えて云く、「...
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『正法眼蔵随聞記』104、古人の云く百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし

示して云く、古人の云く、「百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし。」と。この心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なお手足をはなちて即ち身心を放下せんが如し。是れについて重々の事あり。今の世の人、世をのがれ家を出たるに似れども、行履をかんがうれば、なを真の出家にてはなきもあり。いはゆる出家と云うは、先ず吾我名利を離るべきなり。是れを離れずしては、行道頭燃を払い、精進手足をきれども、ただ無理の勤苦のみにて、出離にあらざるもあり。大宋国にも離れ難き恩愛を離れ、捨て難き世財を捨てて、叢林に交わり、祖席をふれども、審細にこの故実を知らずして行じゆくによりて、道をも悟らず、心をも明らめずしていたずらに一期をすぐすも...
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『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制しておごらざる事を思うなり。この事大事なり。よくよく是れを思うべし。我が身下賤にして人におとらじと思い、人に勝れんと思わば憍慢のはなはだしきものなり。是れはいましめやすし。仮令世間に財宝に豊かに、福力もある人、眷属も囲繞し、人もゆるす、かたわらの人のいやしきが、これを見て卑下する、このかたわらの人の卑下をつつしみて、自躰福力の人、いかようにかかすべき。憍心なけれども、ありのままにふるまえば、傍らの賤し...