「 た 」 一覧

武田勝頼(たけだかつより)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。 通称は四郎。当初は諏訪氏(高遠諏訪氏)を継いだため、諏訪四郎勝頼、あるいは信濃国伊那谷の高遠城主であったため ...

竹中半兵衛(たけなかはんべえ/重治/しげはる)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利。 羽柴秀吉の参謀として活躍し、黒田孝高と共に「両兵衛」「二 ...

武田信玄(たけだしんげん/晴信/はるのぶ)

  戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・ ...

大徳寺派(本山大徳寺(京都))の開派

正和4(1315)年、宗峰妙超禅師により始まる。大徳寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

龍口法難

文永8(1271)年9月12日、幕府や諸宗を批判したとして捕らえられ、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけますが、斬首の刑は中止され、その後、佐渡流罪となりました。 << 戻る

「正法眼蔵」他心通(たしんつう)

西京光宅寺慧忠国師者、越州諸曁人也。姓冉氏。自受心印、居南陽白崖山党子谷、四十余祀。不下山門、道行聞于帝里。唐肅宗上元二年、勅中使孫朝進賚詔徴赴京。待以師礼。勅居千福寺西禅院。及代宗臨御、復迎止光宅精 ...

「正法眼蔵」大修行(だいしゅぎょう)

洪州百丈山大智禅師[嗣馬祖、諱懐海]、凡参次、有一老人、常隨衆聴法。大衆若退、老人亦退。忽一日不退(洪州百丈山大智禅師[馬祖に嗣す、諱は懐海]、凡そ参次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聴法す。大衆若 ...

「正法眼蔵」大悟(たいご)

仏々の大道、つたはれて綿密なり。祖々の功業、あらはれて平展なり。このゆゑに大悟現成し、不悟至道し、省悟弄悟し、失悟放行す。これ仏祖家常なり。挙拈する使得十二時あり、抛却する被使十二時あり。さらにこの関 ...

「正法眼蔵」陀羅尼(だらに)

参学眼あきらかなるは、正法眼あきらかなり。正法眼あきらかなるゆゑに、参学眼あきらかなることをうるなり。この関捩を正伝すること、必然として大善知識に奉覲するちからなり。これ大因縁なり、これ大陀羅尼なり。 ...

『典座教訓』17、ただ自然に変わっていくだけ

もしことをたっとぶべきものならば、 若し事を貴ぶべき者ならば、 ごどうのことをたっとぶべし。 悟道の事を貴ぶべし。 もしときをたっとぶべきものならば、 若し時を貴ぶべき者ならば、 ごどうのときをたっと ...

『典座教訓』10、他人のしたことは自分のしたことにならない

さんぞうてんどうにありしとき、 山僧天童に在りし時、 ほんぷのようてんぞしょくにみてりき。 本府の用典座職に充てりき。 よちなみにさいまかんでとうろうをすぎ 予因みに斎罷んで東廊を過ぎ ちょうねんさい ...

『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

せしゅいんにいって 施主院に入って ざいをしゃしさいをもうけば、 財を捨し斎を設けば、 またまさにもろもろのちじ また当に諸の知事 いっとうにしょうりょうすべし。 一等に商量すべし。 これそうりんのき ...

『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大慧禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...

『正法眼蔵随聞記』99、大恵禅師ある時

示して云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。 医師是れを見て、「大事の物なり。」と云う。 恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」 医云く、「ほとんどあやうかるべし。」 恵云く、「もし死ぬべくは、いよい ...

『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて

一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろえて 、あしきをさけ、よきをとって飯等にする事あり。 是れをある禅師云く、「たとひ我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろうる事なかれ。」と、頌に作って戒めたり ...

『正法眼蔵随聞記』24、たとい我れ道理を以て道うに

法談の次に示して云く、たとい我れ道理を以て道うに、人僻事を言うを、理を攻めて言い勝つは悪きなり。 次に、我れは現に道理と思えども、「我が非にこそ。」と言って負けてのくもあしばやなると言うなり。 ただ人 ...

平清盛(たいらのきよもり)

  平安時代末期の日本の武将で公卿。 伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士として初の太政大臣。日宋 ...

丹霞子淳(たんかしじゅん)

1117/01/01   -人物
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中国・宋時代の禅僧。芙蓉道楷に就いて嗣法。弟子には長蘆清了、宏智正覚がいる。 生誕 1064年 命日 1117年 あなたに おすすめページ💡 戒名授与 1万円のみ(故人/生前/法名授与 ...

大陽警玄(たいようきょうげん)

1027/01/01   -人物
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  中国・五代十国時代~宋時代の禅僧。梁山縁観に就いて嗣法。その法を嗣げる弟子が現れなかったため浮山法遠(大陽警玄の下で学んでいたが、既に臨済宗の法を受け嗣いでいたため)に法を預け、後に代付 ...

平将門(たいらのまさかど)

  平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、そ ...

橘逸勢(たちばなのはやなり)

  平安時代初期の貴族・書家。参議・橘奈良麻呂の孫。右中弁・橘入居の末子。官位は従五位下・但馬権守、贈従四位下。書に秀で空海・嵯峨天皇と共に三筆と称される。 生誕 延暦元年(782年) 命日 ...

大梅法常(だいばいほうじょう)

0839/01/01   -人物
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  中国唐の時代の禅僧。襄州襄陽の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には迦智、天龍がいる。大梅山。 「正法眼蔵」行持・上より抜粋 大梅山は慶元府にあり。この山に護聖寺を草創す、法常禅師その本元 ...

丹霞天然(たんかてんねん)

0824/01/01   -人物
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  中国唐の時代の禅僧。婺州東陽県の出身。石頭希遷無際大師に就いて嗣法。弟子には翠微無学がいる。「選仏」「選仏場」の語源となった禅僧。 ・「丹霞天然禅師は木仏をたく、是れこそ悪事と見えたれど ...

金剛界結縁灌頂、胎蔵灌頂の開壇

弘仁3(812)年11月15日、空海上人は高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、12月14日には胎蔵灌頂を開壇しました。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。 << 戻る

橘諸兄(たちばなのもろえ)

  奈良時代の皇族・公卿。初名は葛城王(葛木王)で、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となる。敏達天皇の後裔で、大宰帥・美努王の子。母は橘三千代で、光明子(光明皇后)は異父妹にあたる。 生誕 天 ...

大仏造立の詔

743年、大仏造立の詔。 << 戻る

大鑑慧能(たいかんえのう)

  中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思、南嶽懐譲、南陽慧忠、荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普 ...

大通神秀(だいつうじんしゅう)

  中国唐の時代。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)出身。中国禅宗の六祖で北宗としては開祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には普寂がいる。諡は大通禅師。 彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であ ...

三論宗(大安寺流)が伝わる

701年(大宝元年)、道慈(智蔵の弟子)が三論宗(大安寺流)伝えました。 三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依と ...

大満弘忍(だいまんこうにん)

  中国唐の時代。蘄州黄梅県(湖北省黄岡市黄梅県)出身。中国禅宗の五祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には大通神秀、大鑑慧能がいる。蘄州黄梅県を中心に活動し、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼 ...

大医道信(だいいどうしん)

0651/09/04   -人物
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  中国唐の時代。蘄州永寧県(湖北省黄岡市武穴市)出身。中国禅宗の四祖。鑑智僧璨に就いて嗣法。弟子には大満弘忍がいる。蘄州黄梅県を中心に活動し、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼ばれる一大 ...

菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)

お釈迦さまから28代目の祖師である菩提達磨大師は、西インドから中国に至り、大乗仏教をもたらしたインド人僧侶です。震旦初祖、円覚大師とも呼ばれ、達摩と表記される場合もあります。般若多羅尊者に就いて嗣法。 ...



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