「 1244年 」 一覧

「正法眼蔵」神通(じんづう)

かくのごとくなる神通は、仏家の茶飯なり、諸仏いまに懈倦せざるなり。これに六神通あり、一神通あり。無神通あり、最上通あり。朝打三千なり、暮打八百なるを為体とせり。与仏同生せりといへども仏にしられず、与仏 ...

「正法眼蔵」大修行(だいしゅぎょう)

洪州百丈山大智禅師[嗣馬祖、諱懐海]、凡参次、有一老人、常隨衆聴法。大衆若退、老人亦退。忽一日不退(洪州百丈山大智禅師[馬祖に嗣す、諱は懐海]、凡そ参次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聴法す。大衆若 ...

「正法眼蔵」自証三昧(じしょうざんまい)

諸仏七仏より、仏々祖々の正伝するところ、すなはち修証三昧なり。いはゆる或従知識、或従経巻なり。これはこれ仏祖の眼睛なり。このゆゑに、 曹渓古仏、問僧云、還假修証也無(還修証を假るや無や)。 僧云、修証 ...

「正法眼蔵」転法輪(てんぼうりん)

先師天童古仏上堂挙、世尊道、一人発真帰源、十方虚空、悉皆消殞(先師天童古仏、上堂に挙す、世尊道はく、一人発真帰源すれば、十方虚空悉皆消殞す)。 師拈云、既是世尊所説、未免尽作奇特商量。天童則不然、一人 ...

「正法眼蔵」三十七品菩提分法(さんじゅうしちほんぼだいぶんぽう)

古仏の公案あり、いはゆる三十七品菩提分法の教行証なり。昇降階級の葛藤する、さらに葛藤公案なり。喚作諸仏なり、喚作諸祖なり。 四念住 四念処とも称ず 一者、観身不浄 二者、観受是苦 三者、観心無常 四者 ...

「正法眼蔵」三昧王三昧(ざんまいおうざんまい)

驀然として尽界を超越して、仏祖の屋裏に太尊貴生なるは、結跏趺坐なり。外道魔儻の頂を踏飜して、仏祖の堂奥に箇中人なることは結跏趺坐なり。仏祖の極之極を超越するはただこの一法なり。このゆゑに、仏祖これをい ...

「正法眼蔵」如来全身(にょらいぜんしん)

爾時、釈迦牟尼仏、住王舎城耆闍崛山、告薬王菩薩摩訶薩言、薬王、在々処々、若説若読、若誦若書、若経巻所住之処、皆応起七宝塔、極令高広厳飾。不須復安舎利、所以者何。此中已有如来全身、此塔応以一切華香瓔珞、 ...

「正法眼蔵」発菩提心(ほつぼだいしん)

西国高祖曰、雪山喩大涅槃(雪山を大涅槃に喩ふ)。 しるべし、たとふべきをたとふ。たとふべきといふは、親曽なるなり、端的なるなり。いはゆる雪山を拈来するは喩雪山なり。大涅槃を拈来する、大涅槃にたとふるな ...

「正法眼蔵」優曇華(うどんげ)

霊山百万衆前、世尊拈優曇華瞬目。于時摩訶迦葉、破顔微笑(霊山百万衆の前にして、世尊、優曇華を拈じて瞬目したまふ。時に摩訶迦葉、破顔微笑せり)。 世尊云、我有正法眼蔵涅槃妙心、附属摩訶迦葉(我に正法眼蔵 ...

「正法眼蔵」祖師西来意(そしせいらいい)

香厳寺襲燈大師[嗣大潙、諱智閑]示衆云、如人千尺懸崖上樹、口㘅樹枝、脚不蹈樹、手不攀枝。樹下忽有人問、如何是祖師西来意。当恁麼時、若開口答他、即喪身失命、若不答他、又違他所問。当恁麼時、且道、作麼生即 ...

養寿院-埼玉県川越市

・青龍山養寿院 曹洞宗 埼玉県川越市元町2-11-2 養寿院は、寛元二年(1244年)、河越太郎重頼の曾孫にあたる経重が開基となり、大阿闍梨圓慶法印が開いたお寺です。 天文四年(1535年)時の住職隆 ...

「正法眼蔵」春秋(しゅんじゅう)

洞山悟本大師、因僧問、寒暑到来、如何回避(寒暑到来、如何が回避せん)。 師云、何不向無寒暑処去(何ぞ無寒暑の処に向つて去らざる)。 僧云、如何是無寒暑処(如何ならんか是れ無寒暑処)。 師云、寒時寒殺闍 ...

浄教寺-奈良県奈良市

・浄教寺 浄土真宗本願寺派 奈良県奈良市上三条町18 浄教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基され、今日に至っております。 行延法師(1206‐1280)は、河内国八尾の庄司真野行延(まの  ...

永平寺-福井県吉田郡

・永平寺 曹洞宗 福井県吉田郡永平寺町志比5-15 道元さまが四十三歳の頃、俗弟子であった波多野義重公の招きにより、越前の地に赴きます。翌年、道元さまは大仏寺を開き、二年後に「永平寺」と改称します。永 ...



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