【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」春秋(しゅんじゅう)

投稿日:1244年1月1日 更新日:

洞山悟本大師、因僧問、寒暑到来、如何回避(寒暑到来、如何が回避せん)。
師云、何不向無寒暑処去(何ぞ無寒暑の処に向つて去らざる)。
僧云、如何是無寒暑処(如何ならんか是れ無寒暑処)。
師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)。

この因縁、かつておほく商量しきたれり、而今おほく功夫すべし。仏祖かならず参来せり、参来せるは仏祖なり。西天東地古今の仏祖、おほくこの因縁を現成の面目とせり。この因縁の面目現成は、仏祖公案なり。

しかあるに、僧問の寒暑到来、如何回避、くはしくすべし。いはく、正当寒到来時、正当熱到来時の参詳看なり。この寒暑、渾寒渾暑、ともに寒暑づからなり。寒暑づからなるゆゑに、到来時は寒暑づからの頂より到来するなり、寒暑づからの眼睛より現前するなり。この頂上、これ無寒暑のところなり。この眼睛裏、これ無寒暑のところなり。

高祖道の寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨は、正当到時の消息なり。いはゆる寒時たとひ道寒殺なりとも、熱時かならずしも熱殺道なるべからず。寒也徹蔕寒なり、熱也徹蔕熱なり。たとひ万億の回避を参得すとも、なほこれ以頭換尾なり。寒はこれ祖宗の活眼睛なり、暑はこれ先師の煖皮肉なり。

浄因枯木禅師、嗣芙蓉和尚、諱法成和尚、云、衆中商量道、這僧問即落偏、洞山答帰正位。其僧言中知音、却入正来、洞山却従偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。不見道、聞衆生解、意下丹青、目前雖美、久蘊成病

(浄因枯木禅師、芙蓉和尚に嗣す、諱は法成和尚、云く、衆中に商量して道ふ、この僧の問、即に偏に落つ、洞山の答は正位に帰す。其の僧、言中に音を知つて却つて正に入り来る。洞山却つて偏に従ひ去く。斯くの如く商量するは、唯だ先聖を謗涜するのみにあらず、亦た乃ち自己を屈沈す。道ふことを見ずや、衆生の解を聞くに、意下に丹青す。目前美なりと雖も、久しく蘊んで病と成ると)。

大凡行脚高士、欲窮此事、先須識取上祖正法眼蔵。其余仏祖言教、是什麼熱椀鳴声。雖然如是、敢問諸人、畢竟作麼生是無寒暑処。還会麼(大凡行脚の高士、此の事を窮めんと欲はば、先づ須らく上祖の正法眼蔵識取すべし。其の余の仏祖の言教は、是れ什麼の熱椀鳴声ぞ。然も是の如くなりと雖も、敢て諸人に問ふ、畢竟じて作麼生ならんか是れ無寒暑処。還た会すや)。
玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦(玉樓に翡翠巣ひ、金殿鴛鴦鏁せり)。

師はこれ洞山の遠孫なり。しかあるに、箇々おほくあやまりて、偏正の窟宅にして高祖洞山大師を礼拝せんとすることを炯誡するなり。仏法もし偏正の商量より相伝せば、いかでか今日にいたらん。あるいは野猫児、あるいは田厙奴、いまだ洞山の堂奥を参究せず。かつて仏法の道閫を行李せざるともがら、あやまりて洞山に偏正等の五位ありて人を接すといふ。これは胡説乱説なり、見聞すべからず。ただまさに上祖の正法眼蔵あることを参究すべし。

慶元府天童山、宏智禅師、嗣丹霞和尚、諱正覚和尚、云、若論此事、如両家著碁相似。儞不応我著、我即瞞汝去也。若恁麼体得、始会洞山意。天童不免下箇注脚(慶元府天童山、宏智禅師丹霞和尚に嗣す、諱は正覚和尚、云く、若し此の事を論ぜば、両家の著碁するが如くに相似なり。儞我が著に応ぜずは、我れ即ち汝を瞞じ去らん。若し恁麼に体得せば、始めて洞山の意を会すべし。天童免がれず箇の注脚を下すことを)。

しばらく、著碁はなきにあらず、作麼生是両家。もし両家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくはかくのごとくいふべし、著碁一家、敵手相逢なり。

しかありといふとも、いま宏智道の儞不応我著、心をおきて功夫すべし。身を巡らして参究すべし。儞不応我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我即瞞汝去也、すごすことなかれ。泥裏有泥なり。蹈者あしをあらひ、また纓をあらふ。珠裏有珠なり、光明するに、彼をてらし、自をてらすなり。

夾山圜悟禅師、嗣五祖法演禅師、諱克勤和尚(夾山圜悟禅師、五祖法演禅師に嗣す、諱は克勤和尚)、云、
盤走珠、珠走盤。
偏中正、正中偏。
羚羊掛角無蹤跡、
猟狗遶林空踧蹈。
(盤、珠を走らせ、珠、盤に走る。偏中正、正中偏。羚羊角を掛けて蹤跡無し、猟狗林を遶りて空らに踧蹈す。)

いま盤走珠の道、これ光前絶後、古今罕聞なり。古来はただいはく、盤にはしる珠の住著なきがごとし。羚羊いまは空に掛角せり、林いま猟狗を巡る。

慶元府雪竇山資聖寺明覚禅師、嗣北塔祚和尚、諱重顕和尚(慶元府雪竇山資聖寺明覚禅師、北塔祚和尚に嗣す。諱は重顕和尚)、云、
垂手還同万仭崖、
正偏何必在安排。
琉璃古殿照明月、
忍俊韓獹空上階。
(垂手還つて万仭の崖に同じ、正偏何ぞ必ずしも安排すること在らん。琉璃の古殿明月照らす、忍俊の韓獹空らに階に上る。)

雪竇は雲門三世の法孫なり。参飽の皮袋といひぬべし。いまも、かならずしもしかあるべからず。いま僧問山示の因縁、あながちに垂手不垂手にあらず、出世不出世にあらず。いはんや偏正の道をもちゐんや。

偏正の眼をもちゐざれば、此因縁に下手のところなきがごとし。参請の巴鼻なきがごとくなるは、高祖の辺域にいたらず、仏法の大家を見せざるによれり。さらに草鞋を拈来して参請すべし。みだりに高祖の仏法は正偏等の五位なるべしといふこと、やみね。

東京天寧長霊禅師守卓和尚云、
偏中有正正中偏、
流落人間千百年。
幾度欲帰帰未得、
門前依旧草芊々。
(偏中正有り正中偏、人間に流落すること千百年。幾度か帰らんとして帰ること未だ得ず、門前旧に依つて草芊々。)

これもあながちに偏正と道取すといへども、しかも拈来せり。拈来はなきにあらず、いかならんかこれ偏中有。

潭州大潙仏性和尚、嗣圜悟、諱法泰(潭州大潙仏性和尚、圜悟に嗣す、諱は法泰)、云、
無寒暑処為君通、
枯木生花又一重。
堪笑刻舟求劒者、
至今猶在冷灰中。
(無寒暑の処君が為に通ぜん、枯木花生くこと又一重。笑ふ堪し舟に刻して劒を求むる者、今に至りて猶ほ冷灰の中に在り。)

この道取、いささか公案踏著戴著の力量あり。

泐潭湛堂文準禅師云、
熱時熱殺寒時寒、
寒暑由来總不干。
行尽天涯諳世事、
老君頭戴菪皮冠。
(熱時は熱殺し寒時は寒、寒暑由来總に不干なり。天涯を行尽くして世事を諳んず、老君が頭に菪皮冠を戴す。)

しばらくとふべし、作麼生ならんかこれ不干底道理。速道速道。

湖州何山仏燈禅師、嗣太平仏鑑慧懃禅師、諱守葈和尚(湖州何山仏燈禅師、太平仏鑑慧懃禅師に嗣す、諱は守葈和尚)、云、
無寒暑処洞山道、
多少禅人迷処所。
寒時向火熱乗涼、
一生免得避寒暑。
(無寒暑処洞山の道、多少の禅人か処所に迷ふ。寒時は火に向ひ熱には乗涼す、一生免得して寒暑を避れり。)

この葈師は、五祖法演禅師の法孫といへども、小児子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし。いはく、一生とは尽生なり、避寒暑は脱落身心なり。

おほよそ諸方の諸代、かくのごとく鼓両片皮をこととして頌古を供達すといへども、いまだ高祖洞山の辺事を覷見せず。いかんとならば、仏祖の家常には、寒暑いかなるべしともしらざるによりて、いたづらに乗涼向火とらいふ。ことにあはれむべし、なんぢ老尊宿のほとりにして、なにを寒暑といふとか聞取せし。かなしむべし、祖師道廃せることを。この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を経歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖為示の道を頌古すべし、拈古すべし。いまだしかあらざらんは、知非にはしかじ。俗なほ日月をしり、万物を保任するに、聖人賢者のしなじなあり。君子と愚夫のしなじなあり。仏道の寒暑、なほ愚夫の寒暑とひとしかるべしと錯会することなかれ。直須勤学すべし。

正法眼蔵春秋第三十七

爾時寛元二年甲辰在越宇山奥再示衆
逢仏時而転仏鱗経。祖師道、衆角雖多一鱗足矣(逢仏の時にして仏鱗経を転ず。祖師道はく、衆角多しと雖も一鱗に足れり)。

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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