【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」自証三昧(じしょうざんまい)

投稿日:1244年2月29日 更新日:

諸仏七仏より、仏々祖々の正伝するところ、すなはち修証三昧なり。いはゆる或従知識、或従経巻なり。これはこれ仏祖の眼睛なり。このゆゑに、
曹渓古仏、問僧云、還假修証也無(還修証を假るや無や)。
僧云、修証不無、染汚即不得(修証は無きにあらず、染汚することは即ち得ず)。

しかあればしるべし、不染汚の修証、これ仏祖なり。仏曽三昧の霹靂風雷なり。
或従知識の正当恁麼時、あるいは半面を相見す、あるいは半身を相見す。あるいは全面を相見す、あるいは全身を相見す。半自を相見することあり、半他を相見することあり。神頭の披毛せるを相証し、鬼面の戴角せるを相修す。異類行の隨他来あり、同条生の変異去あり。

かくのごとくのところに為法捨身すること、いく千万回といふこと知らず。為身求法すること、いく億百といふこと知らず。これ或従知識の活計なり、参自従自の消息なり。瞬目に相見するとき破顔あり、得髓を礼拝するちなみに断臂す。おほよそ七仏の前後より、六祖の左右にあまれる見自の知識、ひとりにあらず、ふたりにあらず。見他の知識、むかしにあらず、いまにあらず。

或従経巻のとき、自己の皮肉骨髓を参究し、自己の皮肉骨髓を脱落するとき、桃花眼睛づから突出来相見せらる、竹声耳根づから、霹靂相聞せらる。おほよそ経巻に従学するとき、まことに経巻出来す。

その経巻といふは、尽十方界、山河大地、草木自他なり。喫飯著衣、造次動容なり。この一一の経典にしたがひ学道するに、さらに未曽有の経巻、いく千万巻となく出現在前するなり。是字の句ありて宛然なり、非字の偈あらたに歴然なり。これらにあふことをえて、拈身心して参学するに、長劫を消尽し、長劫を挙起こすといふとも、かならず通利の到処あり。放身心して参学するに、朕兆を抉出し、朕兆を趯飛すといふとも、かならず受持の功成ずるなり。

いま西天の梵文を、東土の法本に翻訳せる、わづかに半万軸にたらず。これに三乗五乗、九部十二部あり。これらみな、したがひ学すべき経巻なり。したがはざらんと回避せんとすとも、うべからざるなり。

かるがゆゑに、あるいは眼睛となり、あるいは吾髓となりきたれり。頭角正なり、尾条正なり。他よりこれをうけ、これを他にさづくといへども、ただ眼睛の活出なり、自他を脱落す。ただ吾髓の附囑なり、自他を透脱せり。眼睛吾髓、それ自にあらず他にあらざるがゆゑに、仏祖むかしよりむかしに正伝しきたり、而今より而今に附囑するなり。

挂杖経あり、横説縱説、おのれづから空を破し有を破す。払子経あり、雪を澡し霜を澡す。坐禅経の一会両会あり。袈裟経一巻十袟あり。これら諸仏祖の護持するところなり。かくのごとくの経巻にしたがひて、修証得道するなり。あるいは天面人面、あるいは日面月面あらしめて、従経巻の功夫現成するなり。

しかあるに、たとひ知識にもしたがひ、たとひ経巻にもしたがふ、みなこれ自己にしたがふなり。経巻おのれづから自経巻なり。知識おのれづから自知識なり。しかあれば、遍参知識は遍参自己なり、拈百草は拈自己なり、拈万木は拈自己なり。自己はかならず恁麼の功夫なりと参学するなり。この参学に、自己を脱落し、自己を契証するなり。

これによりて、仏祖の大道に自証自悟の調度あり、正嫡の仏祖にあらざれば正伝せず。嫡々相承する調度あり、仏祖の骨髓にあらざれば正伝せず。かくのごとく参学するゆゑに、人のために伝授するときは、汝得吾髓の附囑有在なり。吾有正法眼蔵、附囑摩訶迦葉なり。

為説はかならずしも自他にかかはれず、他のための説著すなはちみづからのための説著なり。自と自と、同参の聞説なり。一耳はきき、一耳はとく。一舌はとき、一舌はきく。乃至眼耳鼻舌身意根識塵等もかくのごとし。さらに一身一心ありて証するあり、修するあり。みみづからの聞説なり、舌づからの聞説なり。昨日は他のために不定法をとくといへども、今日はみづからのために定法をとかるるなり。かくのごとくの日面あひつらなり、月面あひつらなれり。他のために法をとき法を修するは、生々のところに法をきき法をあきらめ、法を証するなり。

今生にも法をたのためにとく誠心あれば、自己の得法やすきなり。あるいは他人の法をきくをも、たすけすすむれば、みづからが学法よきたよりをうるなり。身中にたよりをえ、心中にたよりをうるなり。聞法を妨げするがごときは、みづからが聞法を妨げせらるるなり。

生々の身々に法をとき法をきくは、世々に聞法するなり。前来我が正伝せし法を、さらに今世にもきくなり。法のなかに生じ、法のなかに滅するがゆゑに。尽十方界のなかに法を正伝しつれば、生々にきき、身々に修するなり。生々を法に現成せしめ、身々を法ならしむるゆゑに、一塵法界ともに拈来して法を証せしむるなり。

しかあれば、東辺にして一句をききて、西辺にきたりて一人のためにとくべし。これ一自己をもて聞著説著を一等に功夫するなり。東自西自を一斉に修証するなり。なにとしてもただ仏法祖道を自己の身心にあひちかづけ、あひいとなむを、よろこび、のぞみ、心ざすべし。一時より一日におよび、乃至一年より一生までのいとなみとすべし。仏法を精魂として弄すべきなり。これを生々をむなしくすごさざるとす。

しかあるを、いまだあきらめざれば人のためにとくべからずとおもふことなかれ。あきらめんことをまたんは、無量にもかなふべからず。たとひ人仏をあきらむとも、さらに天仏あきらむべし。たとひ山の心をあきらむとも、さらに水の心をあきらむべし。たとひ因縁生法をあきらむとも、さらに非因縁生法をあきらむべし。たとひ仏祖辺をあきらむとも、さらに仏祖向上をあきらむべし。これらを一世にあきらめをはりて、のちに他のためにせんと擬せんは、不功夫なり、不丈夫なり、不参学なり。

およそ学仏祖道は、一法一儀を参学するより、すなはち為他の志気を衝天せしむるなり。しかあるによりて、自他を脱落するなり。さらに自己を参徹すれば、さきより参徹他己なり。よく他己を参徹すれば、自己参徹なり。この仏儀は、たとひ生知といふとも、師承にあらざれば体達すべからず、生知いまだ師にあはざれば不生知を知らず、不生不知を知らず。たとひ生知といふとも、仏祖の大道はしるべきにあらず、学してしるべきなり。

自己を体達し、他己を体達する、仏祖の大道なり。ただまさに自初心の参学を巡らして、他初心の参学を同参すべし。初心より自他ともに同参しもてゆくに、究竟同参に得到するなり。自功夫のごとく、他功夫をもすすむべし。

しかあるに、自証自悟等の道をききて、麁人おもはくは、師に伝授すべからず、自学すべし。これはおほきなるあやまりなり。自解の思量分別を邪計して師承なきは、西天の天然外道なり、これをわきまへざらんともがら、いかでか仏道人ならん。いはんや自証の言をききて、積聚の五陰ならんと計せば、小乗の自調に同ぜん。大乗小乗をわきまへざるともがら、おほく仏祖の児孫と自称するおほし。しかあれども、明眼人たれか瞞ぜられん。

大宋国紹興のなかに、径山の大慧禅師宗杲といふあり、もとはこれ経論の学生なり。遊方のちなみに、宣州の珵禅師にしたがひて、雲門の拈古および雪竇の頌古拈古を学す。参学のはじめなり。雲門の風を会せずして、つひに洞山の微和尚に参学すといへども、微、つひに堂奥をゆるさず。微和尚は芙蓉和尚の法子なり、いたづらなる席末人に斉肩すべからず。

杲禅師、ややひさしく参学すといへども、微の皮肉骨髓を摸著することあたはず、いはんや塵中の眼睛ありとだにも知らず。あるとき、仏祖の道に臂香嗣書の法ありとばかりききて、しきりに嗣書を微和尚に請ず。しかあれども微和尚ゆるさず。つひにいはく、なんぢ嗣書を要せば、倉卒なることなかれ、直須功夫勤学すべし。仏祖受授不妄付授也。吾不惜付授、只是儞未具眼在(仏祖の受授は妄りに付授せず。吾れ付授を惜しむにあらず、ただ是れ儞未だ眼を具せざることあり)。

時に宗杲いはく、本具正眼自証自悟、豈有不妄付授也(本具の正眼は自証自悟なり、豈に妄りに付授せざること有らんや)。
微和尚笑而休矣(微和尚、笑つて休みぬ)。

のちに湛堂準和尚に参ず。
湛堂一日問宗杲云、儞鼻孔因什麼、今日無半辺(湛堂一日、宗杲に問うて云く、儞が鼻孔什麼に因つてか今日半辺無き)。
杲云、宝峰門下。
湛堂云、杜撰禅和。

杲、看経次、湛堂問、看什麼経(什麼経をか看る)。
杲曰、金剛経。
湛堂云、是法平等無有高下。為什麼、雲居山高、宝峰山低(是法平等にして高下有ること無し。什麼と為てか雲居山は高く、宝峰山は低なる)。
杲曰、是法平等、無有高下。
湛堂云、儞作得箇座主(儞箇の座主と作り得たり)。
使下(下せしむ)。

又一日、湛堂見於粧十王処。問宗杲上座曰、此官人、姓什麼(又一日、湛堂、十王を粧ふを見て、宗杲上座に問うて曰く、此の官人、姓は什麼ぞ)。
杲曰、姓梁(姓は梁なり)。
湛堂以手自摸頭曰、争奈姓梁底少箇幞頭(湛堂、手を以て自ら摸頭して曰く、姓の梁底なる、箇の幞頭を少くを争奈せん)。
杲曰、雖無幞頭、鼻孔髣髴(幞頭無しと雖も、、鼻孔髣髴たり)。
湛堂曰、杜撰禅和。

湛堂一日、問宗杲云、杲上座、我這裏禅、儞一時理会得。教儞説也説得、教儞参也参得。教儞做頌古拈古、小参普説、請益、儞也做得。祗是儞有一件事未在、儞還知否(湛堂一日、宗杲に問うて云く、杲上座、我が這裏の禅、儞一時に理会得なり。儞をして説かしむれば也た説得す、儞をして参ぜしむれば也た参得す。儞をして頌古拈古、小参普説、請益を做さしむれば、儞也た做得す。ただ是れ儞一件事の未だしき在ること有り、儞還た知るや否や)。

杲曰、甚麼事未在(甚麼事か未在なる)。
湛堂曰、儞祗缺這一解在。㘞。若儞不得這一解、我方丈与儞説時、便有禅、儞纔出方丈、便無了也。惺惺思量時、便有禅、纔睡著、便無了也。若如此、如何敵得生死(儞ただ這の一解を缺くこと在り。㘞。若し儞這の一解を不得ならば、我れ方丈にして儞がために説く時は便ち禅有り、儞纔かに方丈を出づれば便ち無了也。惺々に思量する時は便ち禅有り、纔かに睡著すれば便ち無了也。若し此の如くならば、如何が生死を敵得せん)。

杲曰、正是宗杲疑処(正しく是れ宗杲が疑処なり)。
後稍経載、湛堂示疾(後稍載を経て、湛堂疾を示す)。
宗杲問曰、和尚百年後、宗杲依附阿誰、可以了此大事(和尚百年の後、宗杲阿誰に依附してか以て此の大事を了ずべき)。

湛堂囑曰、有箇勤巴子、我亦不識他。雖然、儞若見他、必能成就此事。儞若見他了不可更他遊。後世出来参禅也(湛堂囑して曰く、箇の勤巴子といふもの有り、我れもまた他を識らず。然りと雖も、儞若し他を見ば、必ず能く此の事を成就せん。儞若し他を見んよりは、了に更に他遊すべからず。後世参禅を出来せん)。

この一段の因縁を検点するに、湛堂なほ宗杲をゆるさず、たびたび開発を擬すといへども、つひに缺一件事なり。補一件事あらず、脱落一件事せず。微和尚そのかみ嗣書をゆるさず、なんぢいまだしきことありと勧励する、微和尚の観機あきらかなること、信仰すべし。

正是宗杲疑処を究参せず、脱落せず。打破せず、大疑せず、被疑礙なし。そのかみみだりに嗣書を請ずる、参学の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古のはなはだしきなり。無遠慮なりといふべし、道機ならずといふべし、疎学のいたりなり。貪名愛利によりて、仏祖の堂奥ををかさんとす。あはれむべし、仏祖の語句をしらざることを。

稽古はこれ自証と会せず、万代を渉猟するは自悟ときかず、学せざるによりて、かくのごとくの不是あり、かくのごとくの自錯あり。かくのごとくなるによりて、宗杲禅師の門下に、一箇半箇の真巴鼻あらず、おほくこれ假底なり。仏法を会せず、仏法を不会せざるはかくのごとくなり。而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疎慢なることなかれ。

宗杲因湛堂之囑、而湛堂順寂後、参圜悟禅師於京師之天寧。圜悟一日陞堂、宗杲有神悟、以悟告呈圜悟(宗杲、湛堂の囑に因つて、湛堂順寂の後、圜悟禅師に京師の天寧に参ず。圜悟一日陞堂するに、宗杲、神悟有りといつて、悟を以て圜悟に告呈す)。

悟曰、未也、子雖如是、而大法故未明(未だし、子是くの如くなりと雖も、大法故らに未だ明らめず)。

又一日圜悟上堂、挙五祖演和尚有句無句語。宗杲聞而言下得大安楽法。又呈解圜悟(又一日、圜悟上堂して、五祖演和尚の有句無句の語を挙す。宗杲聞いて言下に大安楽の法を得たりといふ。又、解を圜悟に呈す)。

圜悟笑曰、吾不欺汝耶(吾れ汝を欺かざらんや)。

これ宗杲禅師、のちに圜悟に参ずる因縁なり。圜悟の会にして書記に充す。しかあれども、前後いまだあらたなる得処みえず。みづから普説陞堂のときも得処を挙せず。しるべし、記録者は神悟せるといひ、得大安楽法と記せりといへども、させることなきなり。おもくおもふことなかれ、ただ参学の生なり。

圜悟禅師は古仏なり。十方中の至尊なり。黄檗よりのちは、圜悟のごとくなる尊宿いまだあらざるなり。他界にもまれなるべき古仏なり。しかあれども、これをしれる人天まれなり、あはれむべき娑婆国土なり。いま圜悟古仏の説法を挙して、宗杲上座を検点するに、師におよべる智いまだあらず、師にひとしき智いまだあらず、いかにいはんや師よりもすぐれたる智、ゆめにもいまだみざるがごとし。

しかあればしるべし、宗杲禅師は減師半徳の才におよばざるなり。ただわづかに華厳、楞厳等の文句を諳誦して伝説するのみなり。いまだ仏祖の骨髓あらず。宗杲おもはくは、大小の隠倫、わづかに依草附木の精霊にひかれて保任せるところの見解、これを仏法とおもへり。これを仏法と計せるをもて、はかりしりぬ、仏祖の大道いまだ参究せずといふことを。

圜悟よりのち、さらに他遊せず、知識をとぶらはず。みだりに大刹の主として雲水の参頭なり。のこれる語句、いまだ大法のほとりにおよばず。しかあるを、しらざるともがらおもはくは、宗杲禅師、むかしにもはぢざるとおもふ。みしれるものは、あきらめざると決定せり。つひに大法をあきらめず、いたづらに口吧々地のみなり。

しかあればしりぬ、洞山の微和尚、まことに後鑑あきらかにあやまらざりけりといふことを。宗杲禅師に参学せるともがらは、それすゑまでも微和尚をそねみねたむこと、いまにたえざるなり。微和尚はただゆるさざるのみなり。準和尚のゆるさざることは、微和尚よりもはなはだし。まみゆるごとには勘過するのみなり。しかあれども、準和尚をねたまず。而今およびこしかたのねたむともがら、いくばくの懡㦬なりとかせん。

おほよそ大宋国に仏祖の児孫と自称するおほかれども、まことを学せるはすくなきゆゑに、まことををしふるすくなし。そのむね、この因縁にてもはかりしりぬべし。紹興のころ、なほかくのごとし。いまはそのころよりもおとれり、たとふるにもおよばず。いまは仏祖の大道なにとあるべしとだにもしらざるともがら、雲水の主人となれり。

しるべし、仏々祖々、西天東土、嗣書正伝は、青原山下これ正伝なり。青原山下よりのち、洞山おのづから正伝せり。自余の十方、かつてしらざるところなり。しるものはみなこれ洞山の児孫なり、雲水に声名をほどこす。宗杲禅師なほ生前に自証自悟の言句を知らず、いはんや自余の公案を参徹せんや。いはんや宗杲禅老よりも晩進、たれか自証の言をしらん。

しかあればすなはち、仏祖道の道自道他、かならず仏祖の身心あり、仏祖の眼睛あり。仏祖の骨髓なるがゆゑに、庸者の得皮にあらず。

正法眼蔵第六十九

爾時寛元二年甲辰二月二十九日在越宇吉峰精舎示衆
同四月十二日越州在吉峰下侍者寮書写之 懐奘

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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